プロフィール INDEX
Chinami in Media
新聞・インタビュー、TV・ラジオ、講演録・執筆原稿などのリストを掲載しています。
1967年1月
新潟県西蒲原郡吉田町米納津(現:燕市)に生まれる。
1979年3月
米納津小学校卒業。同級生は合計24人、その後統合されました。
1982年3月
吉田中学校卒業。
1985年3月
新潟県立三条高等学校卒業。在学中は弓道部に入部。
1985年4月
新潟大学法学部入学。再び弓道部へ、女子主将をつとめる。
政治学系を志し国際関係論の多賀ゼミに入門。
1987年12月
ゼミ旅行で東南アジアへ。初めて海外を見聞しショックを受ける(そのわりには楽しそう)
1988年4月
新潟大学休学、タイ王国バンコク市のユニオン語学学校へ留学
1989年4月
タイから帰国、新潟大学復学
1989年11月
「第一回ラオスの子どもを救おう愛のかけ橋バザー」開催協力
1990年3月
新潟大学法学部卒業。NVC新潟国際ボランティアセンターの創設に参加
1990年4月
新潟大学大学院法学研究科入学
1990年9月
英国ブリストル大学法学部に一年間留学
1993年3月
新潟大学大学院法学研究科研究生期間満了、最終学歴は修士(法学)
1993年4月
専修学校非常勤講師(国際関係概論、環日本海交流概論)(~1996年3月)
新潟大学環日本海研究会事務局員(~1997年4月)
1994年7月
環日本海学会創設準備委員会事務局員、同年11月に設立後は学会事務局員(~1996年12月)
1996年4月
新潟産業大学経済学部非常勤講師(政治学)(~1999年3月)
1997年4月
敬和学園大学国際文化学科非常勤講師(平和学)(~2003年10月)。
NVC新潟国際ボランティアセンター事務局長(~1998年9月)
1998年4月
新潟産業大学人文学部非常勤講師(国際政治学)(~1999年3月)
新潟青陵女子短期大学非常勤講師(国際関係論、国際政治論)(~1999年10月)
1998年11月
民主党のメンバーとなる
1999年4月
第14回統一自治体選挙、新潟県議会議員選挙新潟市選挙区から立候補、19,310票の負託をうけ初当選
1999年7月
民主党新潟県連発足と同時に、副代表に就任
2000年2月
新潟県自治体議員フォーラム発足と同時に、幹事長に就任(~2003年11月、現在は顧問)
2001年10月
民主党新潟県第1区総支部長代行に就任
2003年11月
第43回総選挙、新潟1区から119,297票の負託を得て衆議院議員初当選
2005年9月
第44回総選挙、新潟1区から136,391票の負託を得て衆議院議員再選
2006年4月
民主党広報委員会・広報委員長代理(~2007年8月)
2007年9月
民主党「次の内閣」子ども・男女共同参画担当副大臣(~2009年8月)
2007年11月
民主党新潟県総支部連合会代表に就任(~2012年10月)
2009年8月
第45回総選挙、新潟1区から169,389票の付託を得て衆議院議員再々選
2009年9月
外務大臣政務官に就任(~2010年9月)
2012年4月
第2次野田改造内閣 厚生労働副大臣に就任(2012年4月6日)
第3次野田改造内閣 厚生労働副大臣に留任(2012年10月2日)
2012年12月
第46回総選挙、78,283票を得るも落選
2014年12月
第47回総選挙、新潟1区から84,573票を得て比例北陸信越ブロックで当選(4期目)
2017年10月
第48回総選挙、新潟1区から、128,045票の付託を得て当選(5期目)
2021年10月
第49回総選挙、新潟1区から、127,365票の付託を得て当選(6期目)
2021年11月
立憲民主党代表選挙に立候補 ▶代表選特設ページ
2021年12月
立憲民主党 幹事長に就任(~2022年8月)
2022年8月
立憲民主党 代表代行に就任
海外渡航 | 36カ国、のべ約910日 |
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話すことのできる言語 | 日本語、新潟弁、タイ語、英語 |
趣味 | 弓道、山歩き、料理 |
得手 | 長時間の正座 |
不得手 | 冷凍コロッケを揚げること |
フィジカルデータ | 身長170センチ |
血液型 | A型 |
好きな俳優 | 金城武、笠智衆 |
好きな食べ物 | 天ぷらそば、ごはん |
嗜好品 | お酒は人並み程度に日本酒。煙草は吸わない |
家族 | 夫は、元衆議院議員(北海道4区選出)の本多平直です 49才で出産 息子の子育てに奮闘中 |
生年月日 | 1967年(昭和42年)1月13日生まれ |
大切に思っていること | 変化を恐れない。仕事は社会のためにする。 |
愛読書 | 『デルスー・ウザーラ』『ブラックジャック』 |