************************************** 西村ちなみメールマガジン第54号(2005年11月21日発行) 「義務教育費国庫負担金」 ※無断転用、無断転載は固くお断りします※ ************************************** みなさんこんにちは。衆議院議員の西村智奈美です。 先週は「学習権」という耳慣れない言葉をご紹介しました。1985年ユネスコの第4回国際成人教育会議で「学習権宣言」が採択されています。ここには、「学習権なくしては、人間的発達はあり得ない」という一文が入っており、また「学習権は、人間の生存にとって不可欠な手段である」とうたわれたことにより、学習権は生存権の一部としてみなされています。日本では、性教育や宗教教育、女性や青年の学習、学校教育を受ける子どもたちの環境、などの議論をするときに、この学習権という言葉がしばしば用いられてきましたが、最近では、いわゆる三位一体改革の中で義務教育費制度を議論するときにも用いられるようになってきました。 平成17年度、平成18年度予算で地方向け国庫補助負担金を3兆円程度廃止・縮減するという政府与党案がまとめられたのは昨年の11月です。どの国庫負担金を廃止・縮減し一般財源化するか見渡したときに、政府与党が着目したのが義務教育費国庫負担金でした。昨年は8500億円程度の減額を暫定的に行いましたが、減額相当額については税源移譲予定特例交付金という新しく創出された交付金によって措置されています。費用負担を含む義務教育のあり方については、平成17年秋までに中央教育審議会において結論を得るとされており、答申の内容が注目されていましたが、10月26日にまとめられた答申は「義務教育費国庫負担制度は今後とも維持されるべき」という、税源移譲を求める政府与党に対してはいわばゼロ回答の内容となり、今後の議論の行方が注目されているところです。 義務教育費国庫負担の廃止縮減に対しては、懸念の声、不安の声が、各方面から聞かれます。すでに教材費や図書費などは一般財源化されていますが、教材費では交付税積算ベースに対して東京が163.7%と高率なのに対して、徳島県などは35.6%と格差があり、新潟県も80%を少し超えるくらいとなっています。義務教育費が一般財源化されると、教育にかけるお金がさらに削られてしまうのではないか、という懸念が、制度廃止反対の大きな理由でしょう。また公財政による初等中等教育費の対GDP比率は、OECD諸国の中でも日本は決して大きくはありません。 一方、義務教育費が一般財源化され、法改正を行えば、地方の裁量度が高まり、自由な教育環境を整備できるとする、意欲ある声、期待の声も、各方面から聞かれます。教職員の人事権などは都道府県にありますが、より地域社会に近く独自性のある教育を行うためにも、市町村に人事権を移すべきという意見は、さまざまな場面で聞かれてきました。また一般財源化されたときに教育にどれだけ充てるか決めるのは首長ですが、選挙の際に住民から施政方針を問われることになりますので、そのときに住民有権者が審判を下せばよいというすがすがしい議論もあります。地方分権の視点から少なからず共感を覚える点です。 いずれにしても、このように意見が対立するなか、文部科学省の孤立はますます深まっていっているようです。新聞などでは数回にわたって「中学校分の廃止を検討」「3分の1に削減」「削減やむを得ず」などの見出しで報道されていますが、これに対して「報道された事実はないし、発言した大臣の真意もそこではありません」という趣旨の文部科学省からの説明文書がそのたびごとに出されています。これまで義務教育をコントロールしてきた文部科学省が、いよいよ自らの裁量を削られようとするときにいかに狼狽しているかが分かろうというものです。 また、自治体の首長の間でも、自由裁量度が高まることへの期待感を示す先駆的な方がいる一方で、教職員人事権とともに給与負担も移譲されるときには国庫負担金によってその財源を措置してほしいと考えている首長が8割を超えるということも、アンケートによって明らかになっています。すべての首長が、義務教育費一般財源化に積極的ではない、という結果は、態度を決定していく際に、重視しなければならないポイントです。 さて、いずれにしても、義務教育費の国庫負担制度をどうするか、いよいよ来年通常国会では本格的な議論がスタートします。民主党は、学習権の確保という観点から、義務教育費国庫負担金に代わって、教育一括交付金を創設し、国から市町村へ直接交付する、また義務教育費総額も増額するという方向で、方針案を検討することになりました。教育は、モノを生産せず、成果物が何なのか見えにくい作業ですが、教育を疎かにすることは無益だと私は考えます。人材を育成することに金と手間をかけ、工夫を施す、そういう社会とするために、今回の議論を、単に義務教育費をどうするかという一過性の議論にすることなく、複眼的に行っていきたいと考えています。