************************************** 西村ちなみメールマガジン第26号(2005年5月2日発行) 「5月3日は憲法記念日」 ※無断転用、無断転載は固くお断りします※ ************************************** みなさんこんにちは。衆議院議員の西村智奈美です。 大型連休、いかがお過ごしでいらっしゃいますか。天気にも恵まれ、遠回りして散歩したくなるような陽気が続いています。私は4日から公務でモンゴルを訪問することとなり、準備に追われています。この訪問についてはまた後日メルマガ等でご報告したいと思います。 さて明日は憲法記念日です。国会では、衆参両議院にそれぞれ憲法調査会が平成12年1月20日に「日本国憲法について広範かつ総合的な調査」を行うため設置されました。以来、5年あまりの議論・調査を経て、先月末にそれぞれ報告書がまとめられたところです。衆議院憲法調査会による「衆議院憲法調査会報告書」は683頁、参議院憲法調査会による「日本国憲法に関する調査報告書」は298頁。いずれも厚い報告書ですが、私の事務所に置いてありますので、ご覧になりたい方は事務所までお電話のうえお気軽にお越しください。 そもそも憲法とは何なのか。多くの学説等で共通しており、また民主党の憲法調査会でも確認されたとおり、公権力に対して一定の制限をかけるという役割を担う、中心的な存在であるといえます。そして、憲法で国民の権利と定められている項目がしっかりと私たちの生活の中に根付き、それによって主権在民の理念が具体化されていくことが期待されます。そういった意味で、憲法は不磨の大典とすべきではありません。つねに政府の公権力と私たちの人権・権利の間で、憲法を鍛えていくことが必要だと思います。 しかし今回の憲法調査会での議論および報告書について、本当にそういう意味から論議が行われてきたのだろうか、と首をひねらざるを得ない点が散見されます。 たとえば「公権力のコントロール」という、憲法に課せられた第一の目的から逸脱するものですが、国民の義務と責任を追加し明記すべきだという、主に自民党からの意見がかなり出されました。問題の所在には共感できるものもありますが、しかし憲法に義務規定を増やしたところで解決につながるとは思えません。 また、ここ10数年の間、官僚機構に対して内閣のリーダーシップを強化すべきという議論がありましたが、肥大化する行政府に対して立法府の役割をどう明確化するかという課題については、首相公選制も含めて、ずいぶんトーンダウンしました。自民党の関心の無さの表れといえましょう。 そして憲法改正といえば真っ先に槍玉にあがってきた第9条についてですが、国際社会への貢献を可能にするという言葉は美辞であるものの、国連中心主義というこれまでの日本外交の大原則を貫くのかアメリカ追随でいくのか、前提が曖昧なままの議論となっています。中身はまだ見えないがそれを入れる箱を先に作ろうというのは、議論の順序が逆なのではないでしょうか。 付け加えて、第96条で定められている国民投票法制は、憲法の中に制度化された国民の憲法制定権力の発露であって、現在この国民投票法制が不在であることは立法の不作為とみなければならず、しっかりとした制度設計をしなければなりません。しかし憲法改正を急ごうとするあまり、この国民投票法制を骨抜きにしようとする動きがあることは、本当に理解に苦しみます。 そもそも、憲法を改正しようとするのであれば、それに先んじてやらなければいけないのは、「目指すべき国家像」は何か、それを明確にすることではないでしょうか。その国家像の先にこそ、ふさわしい憲法の姿があるはずなのです。「Constitution」の訳語としては、「国のかたち」がもっともふさわしい、と複数の有識者から伺いました。「国のかたち」を議論せずして憲法は語れません。国のかたちが曖昧なまま改憲された憲法が、戦後60年近くかけて定着してきた憲法より、優れているはずだと、胸をはって国際社会の中で言うことは難しいと私は思っています。 ずいぶん長い時間、憲法調査会での議論が行われてきたのですが、結局のところ同床異夢でスタートした調査会、緻密な報告書をつくること自体に無理があったのではと思わざるを得ません。これから憲法調査会は新たな段階に入ることになります。議論を注視してまいります。