************************************** 西村ちなみメールマガジン第24号(2005年4月18日発行) 「不忘前事 后事之師」 ※無断転用、無断転載は固くお断りします※ ************************************** みなさんこんにちは。衆議院議員の西村智奈美です。 中国で反日デモが活発化しています。事態打開につながるかと期待された外相の訪中も、不発に終わる気配が濃厚になってきました。現在、中国に滞在している日本人は日系企業関係者など約8万人。大使館や領事館への投石が行われたり怪我など人的被害が出たりしており、国連のアナン事務総長も「両国の知恵で解決策を探すことを期待している」などと述べて懸念の意を表しています。その国連の常任理事国入りをめざしていた日本にとっては、同じアジア地域にある中国からの支持を取りつける可能性がほぼ皆無となりました。アメリカも今のところは日中両国に公平な立場を崩していないものの、最後は、中国サイドによっていくのではないかという観測がもっぱらです。 日中国交回復後、両国関係の最大の危機といわれる今回の事態。日中国交回復は1972年に当時の田中角栄首相と周恩来総理によってなされました。周恩来総理が、中国国内の反対勢力を説得して日本との国交回復に向けて前進を決断した話は今も耳にします。国交回復に反対する人びとを説得するため、周恩来総理は、農村をひとつひとつ回り、地道な説得を重ねたとも聞きます。「飲水思源」(水を飲むときには井戸を掘った人のことを忘れるな)という中国の言葉どおり信義の人だったからこそ、とても難しい国交正常化を成功させることができたのでしょう。政治の世界でも「誠実さ」を大切にすることの重要性を学べる数少ないエピソードとして、私の心の中に深く刻まれている事柄です。 日本では過去の歴史、とりわけ自らが加害者となった歴史については、伝承しようという雰囲気がほとんどありません。中国や朝鮮半島や東南アジアなどの各国各地域で日本が第2世界大戦当時に何をしたのか、家庭や学校や地域社会で学ぶこともほとんどありません。現地に出かけるなどして積極的に知ろうとしなければ無知のままです。ところが、被害者となった国や地域では、それらの歴史は家庭で、地域で、学校で、脈々と語り継がれています。当事国における若者の「知識の差」はますます広がる一方。この事実認識の差は、被害者と加害者の意識の差でもあります。相互交流の貧弱さと単眼的な情報によって、その差はますます増幅されています。また、ときの政権が、どういうスタンスをとるかによって、意識の差は拡がったり縮まったりする可能性があります。 北朝鮮による拉致問題の解決のためにも、日本にとって中国の位置づけはきわめて重要です。現在および将来の経済活動のありようを考えるとき、日本と中国の関係は友好的であるという前提に立たなければ成立しえないことがたくさんあり、関係の悪化は避けなければなりません。しかし、日中両国政府は、にらみ合ったまま膠着状態に陥りました。日中ともに問題の早期解決を望んでいながら、です。 なぜこのタイミングで日中関係が悪化したのでしょうか。複合的な原因があると見なければなりませんし、その原因についてこのメルマガで論じる紙幅もありませんが、私は、小泉総理の靖国参拝など日本政府が中国の感情を逆なでするような行動をとったことが、反日デモを引き起こすきっかけにもなっていると考えます。その小泉総理が、「対立の海から協力の海へ、お互いよく話し合っていきたい」と述べても、中国の政府あるいは国民にはそうした言葉は何の意味も持たないものであろうと思います。 外交に従事するのは、政府だけではない時代に入っています。日本が過去の歴史を「忘れる」のではなく「記憶する」ことによってのみ、打開の糸口を見つけ出すことが可能になるのではないでしょうか。もちろん今回のような暴力行為は認められるものではありませんから、中国に対して時には言いにくいことも言うべきでしょう。しかし、「私たちも忘れていない」というメッセージは、被害者としての日本からばかりでなく、加害者としての日本からも、常に発信しつづけるべきです。力による支配がつづく国際社会ですが、信義の人である周恩来が今なお語り継がれていることに、今後の日中関係の、少しの希望をつないでみたいと思うのです。