〇西村智奈美君 立憲民主党の西村智奈美です。
私は、立憲民主党・市民クラブ、国民民主党・無所属クラブ、無所属の会、日本共産党、自由党、社会民主党・市民連合、この各派を代表して、ただいま議題となりました厚生労働大臣加藤勝信君不信任決議案について、提案の趣旨を御説明いたします。(拍手)
まず、決議案を朗読いたします。
本院は、厚生労働大臣加藤勝信君を信任せず。
右決議する。
以上であります。
加藤勝信厚生労働大臣は、安倍内閣が打ち出した働き方改革について、当初から担当大臣として深くかかわり、昨年からは、厚生労働大臣として、国民の命と健康を守るはずの改革に真摯に取り組むことを私は期待しておりました。しかし、大変残念ながら、国民の期待を裏切り続けている加藤大臣に、これ以上、厚生労働大臣の重責を任せるわけにはいきません。
けさの理事会で、大変驚くべき出来事がありました。この間、ずっと野党から精査を求めてきた平成二十五年度労働時間等総合実態調査に関してであります。
この調査は、法案審議、法案の議論の出発点として、閣議決定に基づいて行われた調査であります。労政審に提出され、そのデータは十二回にわたって二次加工され、審議の材料とされてまいりました。
当初、一万一千五百七十五件のデータから、裁量労働制に係る部分が不適切であったとして削除されました。それでもおかしいところがあるのではないかと野党が精査を求めたところ、九百六十六件について新たな異常値が見つかったということで、全体から二割のデータが削除されました。
残りの八割は正しいのかと野党が精査結果の提出を求めて、その内容を見ていましたら、やはりおかしいと思われる箇所が何カ所も見つかりました。
その中の一つについて、先週、我が党の尾辻かな子委員が、異なる事業場なのに時間外労働時間の一日、一週、一カ月、一年の数値がぴったり同じデータがありまして、これはおかしいのではないかとただしましたが、厚生労働省は、理論上はあり得るとの答弁で、加藤大臣も、精度は上がったと答弁をしておられました。
ところがです。けさになって、しれっと「異なる通し番号でデータが全て一致しているものについて」という資料が理事会で配付され、何と、コピーの混在により同一の調査票を二重に集計していたものが六件あったとの資料が配付されたんです。
次から次へと、おかしな資料やデータが出てくる。これは底なし沼ですか。こんな状況で、エビデンスに基づく議論はとても期待できません。
データの間違いが次から次へと見つかってもなお、法案の正当性を強弁し、きょうの法案採決を強行しようとする。厚生労働行政への信頼が失墜していく中で、何一つリーダーシップを示すことができない加藤大臣は、不信任に値します。
また、加藤大臣の委員会での答弁は、実に巧妙です。野党からの追及をかわす手法を、幾つも幾つも加藤大臣は駆使してきました。すなわち、論点のすりかえ、はぐらかし、個別の事案にはお答えできない、話を勝手に大きくして答弁拒否するなどであります。
例えば、論点のすりかえでは、御飯論法などと言われますが、例えばこういうことでございます。
質問者。朝御飯を食べなかったんですか。答弁者。御飯は食べませんでした(パンは食べましたが、それは黙っておきます)。つまり、朝御飯を食べましたかと聞かれたときに、誠実な答え方は、食べましたですよね。しかし、回答者は、朝御飯を食べたかを聞かれているのに、食べたとは答えたくないので、御飯を食べたかを問われているかのように論点をすりかえた上で、御飯は食べませんでしたと答えているわけです。
実際には、御飯ではなくパンは食べていたのですが、それは答えていません。尋ねた人は、朝御飯は食べなかったんだろうなと思うでありましょう。大変不誠実な答えであります。
ちょうどそういうやりとりは、野村不動産への特別指導の背後にあった過労死の事案認識をめぐって行われてもおります。
三月五日月曜日、この日の参議院予算委員会で、石橋通宏議員の質疑に対し、安倍首相と加藤大臣はこう答えています。
石橋議員はこのように質問しておりました。日曜日の朝日新聞の朝刊一面トップ、裁量労働制、野村不動産の裁量労働制、まさに昨年末に発表された、問題となった違法適用、この対象になっていた労働者の方、五十代の男性職員が二〇一六年の九月に過労自殺をしておられた。昨年、御家族が労災申請をされて、まさに特別指導の結果を公表された十二月二十六日、その日に労災認定が出ていたということです。総理、この事実は御存じでしたね。
それに対して安倍総理は、これは、特別指導についてですか、特別指導について報告を受けたということですかというふうに確認をした上で、特別指導については報告を受けておりましたが、今の御指摘については報告を受けておりませんと答えました。
石橋議員。安倍総理は報告を受けていなかったと。加藤厚労大臣はもちろん知っておられたでしょうね。
加藤大臣。それぞれ労災で亡くなった方の状況について逐一私のところに報告が上がってくるわけではございませんので、一つ一つ、そのタイミングについて、知っていたのかと言われれば、承知しておりません。
石橋議員。知っておられなかったと、この事案。そうすると、これだけの深刻な事案がまさに裁量労働制の適用労働者に対して発生をしていた。労災認定が出ていたわけです。
以下略といたしますが、さて、ここで加藤大臣はどういう内容のことをお答えになっていたんでしょうか。
石橋議員が、「知っておられなかったと、この事案。」と確認したのに対して、加藤大臣は、いや、そうではなくてと訂正はしていません。普通に聞けば、「承知をしておりません。」という答弁なのですから、知らなかったと答弁していると受け取るわけです。翌日の新聞各紙もそのように報じておりました。
しかし、改めて野党が追及していくと、この答弁は、野村不動産における過労自殺について知らなかったという答弁ではなかったということが明らかになりました。野村不動産における労災申請については、個別の事案についてはお答えできないとその後も説明を拒み続けたのですけれども、その後の答弁をよくよく読みますと、加藤大臣の答弁は、「それぞれ労災で亡くなった方の状況について逐一私のところに報告が上がってくるわけではございません」ということと、「一つ一つについてそのタイミングで知っていたのかと言われれば、承知をしておりません。」となっているわけですので、一般論として答えたということなのであります。
しかし、そんなことは石橋議員は尋ねてはおりません。野村不動産の事案について、過労自殺とその労災認定があった事実を知っていたかを問うているのに、加藤大臣は論点をすりかえて、聞かれてもいないことを答えて、あたかも何かを答弁したかのように装っているわけであります。これでは質疑は成り立ちません。
こういったことが厚生労働委員会の現場ではしばしば発生いたしました。野党の議員が、答えていませんと指摘をしても、加藤大臣は、上記の手法を駆使し、委員会質疑の質を低下させてきたのです。この責任は余りにも重いと言わなければなりません。
論理の欠点をごまかしつつ自己の主張を正当化する、東大話法という本があるそうです。この本を書かれた安冨歩先生のコメントが、けさの朝日新聞の朝刊に掲載をされておりました。このように書かれています。
「加藤厚労相はそもそも質問に答える意思がないのだろう。「答えたふり」さえもしていない点で、東大話法ですらない。」
ちなみに、東大話法というのは、論理の欠点をごまかしつつ自己の主張を正当化する話法だそうでございます。
「こうした答弁姿勢は森友問題や加計問題でも同じで、安倍政権では一貫している。多くの国民もその姿勢を受け入れてしまっているように感じる。野党にできることは、加藤氏がヘトヘトになるまで延々と同じ質問を繰り返すか、自分たちの足で疑惑や国民のニーズを調べるか、ではないか。」
まあ、へとへとになるまで同じ質問をするのも、本当にくたびれます。時間も限られている中で、なかなかそれが難しい。
このように指摘されておりますので、なおさらのこと、加藤大臣を含む安倍内閣全体が国民の方を向いておらず、国会への説明責任を果たそうともせず、ひいては民主主義を著しく損ねている森友、加計問題の大きさを、厚生労働省のデータ問題とあわせて指摘しなくてはなりません。
森友学園との国有地取引をめぐる交渉記録については、参議院予算委員会の求めに応じ、五月十八日に提出する予定でした。ところが、これを二十三日に延期すると政府・与党から一方的な通告があり、なぜだろうといぶかしく思っておりましたが、これがよく考えられた日程だったのです。
二十三日には、防衛省がないとしてきたイラク派遣時の活動報告を自衛隊内部で見つけられたという問題で、その調査結果を国会に報告する日になっていました。また、働き方改革法案の強行採決も二十三日にあるのではないかと言われていました。
つまり、森友、イラク日報、働き方強行採決の三つを同じ日にぶつけて、それぞれ国民への衝撃の度合いを薄め、そして翌日から総理はロシアへ行き、国内の懸案事項から外交へと国民の目をそらさせようとする、そういう意図がありありと浮かんでまいります。そうではなかったら、なぜ二十三日にこんなに重大なことが集中するのでしょうか。
イラクの日報については、組織的隠蔽という事案にはつながらないと防衛省は述べていますが、事務次官を含め十七名もの内局職員と自衛官が処分される今回の事案で、本当に組織的隠蔽がなかったと言えるのでしょうか。
そもそも、なぜ、指示を出したとされる稲田前大臣は調査対象になっていないのですか。
問題の源流は、稲田前大臣の指示の有無にあります。下流の指示の受け手だけを調査して、全容の解明ができるわけはありません。トップの責任は不問に付し、役所内部に責任を押しつける。余りに露骨ではありませんか。
また、シビリアンコントロール上も大きな問題があります。
防衛省の報告書では稲田前大臣の再探索指示はあったと認定しましたが、指示と認識していなかった自衛官も多く、再探索の結果は稲田前大臣に報告されてもいません。再探索の結果を確認できていなかった大臣が実力組織を統制することが本当に可能なのでしょうか。戦後、長い論争の末に到達した文民統制という柱が、大きく毀損しています。公務員の業務遂行のあり方として問題があったという指摘すらあります。
今回の数々の問題に対して、トップに立つ政治家、職員と自衛官は、真剣に向き合わなければなりません。この調査報告が出て終わりにしてはいけません。
さて、翻って、森友学園の土地売却をめぐる問題、加計学園の獣医学部新設をめぐる問題です。
重ねて申し上げますが、これは加藤大臣を含む安倍内閣全体への信頼性の問題であり、ここから、裁量労働制のデータ捏造、労働時間等総合実態調査の誤った作成方法、過労死を生み出す高度プロフェッショナル制度の強引な創設など、今回の働き方関連法案を議論するに当たって、内閣全体にその資格があるのかどうかが問われる大事な問題ですから、しっかりと説明させていただきます。
総理は、問題が起きるたびに、うみを出し切る、説明責任を果たすなどとおっしゃいますが、本当にそういうつもりがあるのでしょうか。本当にそうなら、うみを出し切るための具体的なアクション、説明責任を果たすための具体的なアクションをとってしかるべきと思いますが、この間、何もそういったことがとられた気配はありません。予算委員会が開かれても、説明責任を果たす、調査すると、同じ答弁の繰り返しで、では何をしているのか、一向に見えないのです。
そもそも、うみとは何を指して言っておられるのでしょうか。役所の担当者に責任を押しつける、いわゆるトカゲの尻尾切りがなされるのであれば、うみなど出し切ることは到底できません。うみをつくり出しているうみの親をしっかりと突きとめ、原因そのものを排除しなければならないはずです。
しかし、この間、総理は本当にそれを突きとめるための努力をしてきたでしょうか。自分や妻がかかわっていたら総理をやめる、国会議員もやめると断言していたにもかかわらず、妻の安倍昭恵氏がかかわっていることが明白になった今も、そして愛媛県の中村知事が行政文書を公開した今も、知らない、会っていない、覚えていないと繰り返すばかりです。
次から次へと明らかになる事実から、証拠は整ってきています。自分が言っていることが全てだから信じろと言わんばかりの国会答弁が、うそにまみれているのではないかと多くの国民が疑問視していることを総理は御存じないのでしょうか。
野党は、一年以上前からこれらの問題を追及してきました。野党が追及してこなければ、森友、加計問題は今も全く闇の中だったはずです。
その証拠が、五月二十三日、参議院予算委員会の理事懇談会に提出された、膨大な廃棄された公文書の山であります。これが隠蔽されることなく一年前に提出されていたら、国会はもっと充実した議論ができていたでしょう。一年以上も国民と国会はだまされてきたのです。この貴重な時間を返していただきたい。これは、与野党問わず、議会人として全ての議員が共有できる思いなのではないでしょうか。
森友学園に対する国有地売却事案は、約九億五千六百万円と評価された国有地が、なぜ八億一千九百万円も値引きされ、一億三千四百万円で売却されることになったのかという、税金の使われ方の問題です。
廃棄したと説明してきたのは、学園側との交渉記録約九百六十ページ、改ざん前の決裁文書十四件、三千ページ以上、本省相談メモの三点です。財務省は、理事懇談会で、二〇一七年二月下旬以降、国会答弁との整合性をとるために、当時、保管されていた交渉記録の廃棄を進めていたことが認められたと説明しました。ちょうどそのころ、当時の佐川理財局長が、面会等の記録は廃棄していると答弁していたのです。
廃棄していると国会で答弁したから、国会会期中に廃棄し始めた。あり得ないことです。こんなむちゃくちゃが、曲がりなりにも公文書管理法と行政情報公開法のある二十一世紀の我が国で発生するなんて、あり得ません。
いつから我が国は真実がねじ曲げられる国になってしまったのでしょうか。日本は、国際社会の中で、法治国家として法の支配を主張してきたのではなかったのですか。都合の悪い文書が改ざんされ、捏造され、隠されて、捨てられる、こんなことがまかり通れば、他国がどうこうと言えなくなってしまいます。
提出された交渉記録の中には、安倍首相の妻、昭恵氏付の政府職員だった谷査恵子氏が、二〇一五年十一月、財務省理財局の担当者に学園との土地取引について問い合わせた内容もありました。そこには、安倍総理夫人の知り合いの方から優遇を受けられないかと総理夫人に照会があり、当方からお問合せさせていただいたと記されています。
先月十一日の予算委員会で、安倍総理は、谷氏が自発的に照会したものだと枝野代表への答弁をしていましたが、総理夫人に照会があったものを谷氏がどうやって自発的に照会できるのでしょうか。謎は深まるばかりです。
真実を明らかにし、国会に出てくる文書が信頼に足るものであると与野党が納得できるようにする責任は、政府、そして内閣にあります。
加計学園による獣医学部新設をめぐる問題です。
五月二十一日、これまた、参議院予算委員会に愛媛県が文書を提出しました。政府は、国家戦略特区制度を使って、加計学園だけにしか通れない鍵穴をつくったんです。本来、国家戦略特区は全国展開することを前提に実施されるものであると承知していますが、獣医学部の新設に関しては、後にも先にも加計学園だけが獣医学部をつくることが認められるように、鍵穴をより複雑に、要件を書き足して閣議決定しているのです。
国家戦略特区ワーキンググループにおいて、八田座長は、適正な手続で特区の選定を行ったと言っていましたが、加計学園に獣医学部が新設されるように敷かれたレールの上を走っているのですから、他の結論に到達するはずなどありません。
加計問題の疑惑については、手続の中立性、公平性に大きな疑義があります。やはり加計ありきではなかったのでしょうか。そして、総理へのそんたくはなかったのでしょうか。総理に親しい人が得をする仕組みだったのではないでしょうか。
学部新設を認める根拠となる四条件を本当は加計学園はクリアしていないかもしれない、そういう疑惑がある中で、ここは、安倍内閣に対する信頼性を回復してもらうためにも、しっかりと与党の皆さんからも説明をお伺いしたいところであります。
愛媛県の文書には、このようにも書かれていました。
二月二十五日とされる日に、安倍総理と加計氏の面会があり、「理事長から、獣医師養成系大学空白地帯の四国の今治市に設置予定の獣医学部では、国際水準の獣医学教育を目指すことなどを説明。首相からは「そういう新しい獣医大学の考えはいいね。」とのコメントあり。また、柳瀬首相秘書官から、改めて資料を提出するよう指示があったので、早急に資料を調整し、提出する予定。」と記載をされております。
しかし、安倍総理は、この面会を否定しています。官邸に記録がないことをその根拠としておられました。
しかし、首相動静にも掲載されず、総理と面会するルートは幾つもあります。通用口から入ったり、カメラのある動線を通らずに執務室に入ったり、そういうことが可能であることは、官邸で一定期間仕事をした人であれば誰でもわかっているはずで、官邸での滞在期間が二千三百日を超え、在職歴代一位が視野にある安倍総理は、十分御承知の上で答弁しているはずであります。全く根拠になりません。
愛媛県からの文書を見ると、このいいねの後、柳瀬氏が加計学園の獣医学部新設のために奔走した姿が浮かび上がってきます。ある政府関係者は、面会ややりとりを否定し、文書で覆されることの繰り返し、首相は自分で自分を追い込んでいるとため息まじりに語ったとの記事がありました。
誰がうそを言っているのでしょうか。愛媛県と、安倍総理、柳瀬秘書官との主張は真っ向からぶつかり合っています。前川前文部科学事務次官は、総理が御自身の名前を出してみずからの正当性を主張することに異議を唱えています。ここに至っては、愛媛県の中村知事、前川前次官を始め関係者の皆さんを国会に招致し、真実をお話しいただくことが必要不可欠だと私は思います。
朝日新聞社が十九日、二十日に行った世論調査では、安倍総理や柳瀬秘書官の説明で疑惑が晴れたか聞いたところ、疑惑が晴れていない、これが八三%、自民党支持層でも七六%の方が疑惑は晴れていないと回答されていました。ぜひこのことを重く受けとめていただきたいのです。
一つのうそをつき、そのうそをまた隠そうとすれば、新たなうそをつかなくてはなりません。誰かのせいにしたり、はったりで面会ややりとりを否定したりせず、真実を語るべきであります。
公文書を改ざんしない、これは、日本の民主主義を機能させるための大事な、基本的なルールの一つです。国会では真実を語り、うそをつかない、これもそうです。捏造したデータを出さない、これもそうです。しかし、今の国会では、これらが全て行われている。
ルールを破った政府に対して、国会がそのルール無視を不問に付し、議論を続けることが、国民にとって本当に安全なことなのでしょうか。うそやでたらめの情報をもとに議論し、間違った方向へと議論が向かっていくことは大変危険です。だから、労働時間等総合実態調査のやり直し、そして精査のやり直しを私たちは求めているのであります。
加藤大臣を含む安倍内閣の問題として、セクシュアルハラスメントに対する意識が世間一般と大変にずれているということも指摘しなくてはなりません。
福田次官のセクシュアルハラスメント問題について、私は、福田次官の行為も問題だと思いますが、その後の財務省及び財務大臣の対応が決定的にだめだと断ぜざるを得ません。
まず、財務省は、事後に、みずからの顧問弁護士を務める法律事務所に調査を依頼しました。セクハラを受けた被害者が、加害当事者サイドの顧問弁護士事務所に被害を申し出ることができると本当に考えたのでしょうか。
加害者サイドと切り離されたところで被害状況を聞くこと、これはあらゆるハラスメントへの対応において鉄則です。しかし、財務省は、本人からの申出を待つばかりで、それ以外の有効な調査方法を、野党の側から提案しているにもかかわらず、検討しようともしませんでした。余りにも被害当事者の心情を傷つけるものだったと思います。
セクシュアルハラスメントで二次被害を起こさないように十分に配慮する必要もあります。しかし、麻生財務大臣は、福田は優秀な次官、嫌だったら男性記者に差しかえればいいなどと福田次官をかばうような発言、そして、女性の活躍促進と言っている安倍内閣の一員であるのに女性の活躍を妨害するような発言を続け、あげくには、セクハラという罪はないと、セクシュアルハラスメントをなくしたいと考えている人たちの神経を逆なでするような暴言を吐きました。
確かに、日本にはセクハラという罪はありません。男女雇用機会均等法、人事院規則などには、事業主や官公庁の長に、セクハラ防止の啓発や相談窓口の設置、セクハラが起きたときの対応を求める規定はありますが、セクハラそのものを禁止する規定はありません。
しかし、民事訴訟においては、民法の不法行為の規定を根拠に判例を積み重ね、セクハラはいけないというルールをつくり上げてきました。少しずつ、被害に遭った人が泣き寝入りせず、声を上げられるようになってきたやさきだったのです。そこにもってきて、セクハラ罪はないという麻生大臣の言い方は、こうした長年の努力を一瞬で崩してしまいかねません。ますます被害者が被害を言い出しにくくなってしまいます。
こうした閣内からのとんでもない発言に対して、少なくとも、職場におけるセクシュアルハラスメントに対して措置義務を求めている男女雇用機会均等法、これを所管する厚生労働省の加藤勝信大臣から、麻生大臣に対していさめる声や注意する声が一言も発せられなかったというのは、一体どういうことでしょうか。見て見ぬふりですか。これでは働く女性たちはがっかりです。この一件だけをもってしても、加藤大臣に、厚生労働大臣として不適切だと断ずるに十分であります。
欧州や米国など、ほとんどの先進国ではセクハラ禁止が法律にあります。フランスや台湾では、刑事罰のセクハラ罪も規定しています。日本は国連から禁止規定をつくるように勧告されていますが、これを無視し続けてきました。麻生大臣は、日本のこの法の欠陥をわかっておられて、セクハラ罪はないとおっしゃったのでしょう。もしセクハラ罪があったら、福田次官は刑事罰に問われていたかもしれません。
セクハラを定義することはそう簡単ではないと私も理解しています。立憲民主党では、法の不備を放置することはできないという立場から、時間はかかるかもしれないが、何がしかの立法はできないかと、作業チームで検討を始めました。
雇用主と従業員という立場を超えた今回のようなケースにおいても、ハラスメント被害は発生しています。加藤大臣は働く人たちのセクハラ禁止に後ろ向きですが、女性も男性もそれぞれが仕事の上で能力を発揮できるよう、今回の件を契機に、何がしかの対策がとれないかと、前向きの姿勢で取り組むべきだったのではないでしょうか。加藤大臣には、この点についてもリーダーシップが全く見られません。
働き方改革は総理案件だから、高度プロフェッショナル制度は危ない、こういう野党からの指摘や働く人たちからの声があっても突っ込んでいく。しかし、セクハラへの対応強化は何もしない。森友、加計問題をめぐって、世間では上ばかり見て出世を重ねてきた人をヒラメ官僚などと呼ぶようですが、加藤大臣も安倍総理の言いなりなのですか。大臣が聞くべきは、もっと本当に法律や制度によって救済が必要な人たちの声、これを聞くべきなのであります。
働く女性のセクシュアルハラスメント事案であったにもかかわらず、被害者救済のために前向きな発信を全くされず、二次被害が生み出されているにもかかわらず、それに対する警告も行わず、女性の活躍促進や一億総活躍などとスローガンばかりを唱える大臣に、その資格はありません。
それでは、以下、加藤大臣に対する不信任の理由のうち、働き方関連法案に関する具体的な理由を申し述べます。
第一は、働き方改革関連法案に対象業務の拡大を盛り込む予定であった裁量労働制をめぐる数々の失態及びそのような失態により招いた行政への不信であります。
大事なことなので何度も申し上げますが、厚生労働省は、約三年前から、不適切なデータ比較をもとに、裁量労働制で働く者の労働時間の方が一般労働者よりも短いという虚偽の説明を繰り返し、今国会においては、内閣総理大臣の答弁の撤回と謝罪に追い込まれました。しかし、なぜそのような比較をしたのかは、当時の担当者のミスであるとして、我々に要求されるまで原因究明すら行おうとはせず、無責任きわまりないとしか言いようがありません。
事は、ことし一月二十九日の衆議院予算委員会で、我が党の長妻昭政調会長の質問から始まりました。
長妻委員は、裁量労働制のもとで働き、過労死に追い込まれた事例を複数紹介し、裁量労働制で働く人の労働時間について問うたのであります。これに対して安倍総理は、「厚生労働省の調査によれば、裁量労働制で働く方の労働時間の長さは、平均的な方で比べれば一般労働者よりも短いというデータもある」と答弁しました。この「平均的な方で比べれば」について、データの出どころである平成二十五年度労働時間等総合実態調査結果を確認したところ、実は、裁量労働制で働く労働者と一般労働者のそれぞれの労働時間の平均値の比較ではなかったのです。それぞれについて平均的な者のみを取り出して、その労働時間の平均値を比べたものでありました。裁量労働制では長時間労働に歯どめがかからなくなるという指摘に対して示すデータとしては、大変に不適切であります。
裁量労働制の方が通常の労働時間制の労働者よりも長時間労働の者の割合が高く、平均で見ても労働時間が長いという傾向は、厚生労働省の要請に基づいて独立行政法人労働政策研究・研修機構、略称JILPTが実施した二〇一三年の調査における労働時間の分布にはっきりとあらわれております。
一カ月の実労働時間を専門業務型裁量制、企画業務型裁量制、通常の労働時間制、この三つで比較をいたしますと、専門業務型裁量制では、百五十時間未満が三・一%、百五十時間以上二百時間未満が四二・一%、二百時間以上二百五十時間未満が四〇・九%、二百五十時間以上が一一・三%、不明が残りという結果です。
企画業務型裁量制については、百五十時間未満が五・三%、百五十時間以上二百時間未満が四九・八%、二百時間以上二百五十時間未満が三八・六%、二百五十時間以上が四・七%、不明が一・六%です。
通常の労働時間制においては、百五十時間未満が五・七%、百五十時間以上二百時間未満が六一・七%、二百時間以上二百五十時間未満が二六・五%、二百五十時間以上が三・九%、不明が二・二%でございます。
私が今申し上げた数値から、裁量労働制の労働者の方が通常の労働時間制の労働者よりも実労働時間が長い傾向は明らかであります。
労働時間の平均で見ても、通常の労働時間制の労働者で百八十六・七時間。どうも聞いていただけていなかったようなので、もう一回申し上げます。企画業務型裁量労働制で百九十四・四時間、専門業務型裁量労働制で二百三・八時間と、裁量労働制の方が明らかに長いのです。
安倍総理がこのデータを参照するのではなく、平成二十五年度労働時間等総合実態調査から平均的な者のみを取り出して比較したデータをあえて紹介したことは、データを示すことによって反証ができたかのように装うものでしかありません。そのような答弁は大変不誠実であり、さらに言えば、国民を欺くものであります。
安倍総理に続いて、同じデータに言及して答弁した加藤厚生労働大臣も同様であります。
加藤大臣は、一月三十一日の参議院予算委員会で森本真治委員から同様の質問を受け、一般の労働時間は、平均的な人で比べて、一般労働者が九時間三十七分、企画業務型裁量労働制で九時間十六分と答弁しました。しかし、なぜJILPTの調査結果についてはそこでお述べにならなかったのですか。
裁量労働制の労働時間と一般労働者の労働時間の比較について問われた際、百歩譲って、厚生労働省がつくり上げたデータがあるとしましょう。しかし、JILPTの調査は厚生労働省の要請に基づいて行われた調査です。その調査結果を厚労省内部で共有していないはずはありません。
なぜ、前年に行っていたこのJILPTの調査、裁量労働制の労働時間の方が長いということには全く触れずに、厚生労働省が捏造したデータだけを出したのですか。裁量労働制の対象拡大を狙っていた政府にとって都合の悪い情報は隠し、厚生労働省が作成したものだから信頼度が高いという刷り込みとともにテレビ入りの予算委員会でうその情報を垂れ流す、こんなでたらめを認めるわけにはいきません。
労働時間との相関が相当高いと思われる過労死について、長時間労働がそれを助長すると知りながら、うそのデータで国民をだまそうとした加藤大臣には、そもそも法案提出の資格がありません。
データ問題には、その後の経過があります。
二月一日、厚生労働省の担当者が、調査票の一般労働者の記入欄が一日の時間外労働の最長時間数となっている一方で、裁量労働制については一日の時間をどのように選ぶか記載がないことを把握していました。調査方法や定義の確認作業を開始したと厚生労働省は説明しています。
二月の二日、調査方法や定義が不明確であることを労働基準局長が認識をいたしました。しかし、この日は、衆議院の予算委員会でデータに関する答弁はなかったということで、沈黙をしていたわけです。
二月の五日、大臣が、衆議院の予算委員会で、平均的な者と平均値の違いについて議論をいたしました。
二月の六日と二月の七日は、答弁がありませんでした。
二月の七日、大臣に、データの整合性について野党から指摘を受けていること及び調査票の一般労働者の記入欄が一日の時間外労働の最長時間数となっている一方で、裁量労働制については一日の時間をどのように選ぶか記載がないことを報告しました。大臣から、個々のデータの精査、具体的な手法の確認の指示があったそうであります。
二月の八日、大臣は、衆議院の予算委員会で、精査中と答弁をしました。
二月の九日金曜日も、予算委員会で、精査中と答弁をしました。
二月の十三日に、予算委員会で、長妻昭委員が、データは正しくない可能性がある、一旦撤回していただきたいとただしたのに対して、総理は、改めて、先日の本予算委員会において、平均的な方で比べれば一般労働者よりも短いデータがあると答弁した、調査結果については厚労大臣が精査すると答弁していると承知している、こういうふうに答弁をしました。
翌十四日、答弁は撤回されましたが、その後も、連日のように、次々と異常値が見つかりました。
二月の十五日、加藤厚生労働大臣が、衆議院の予算委員会で、精査結果を月曜日に報告する旨を答弁いたしました。
十九日に、厚労省は、一日の残業時間についての質問項目が一般労働者と裁量労働者で異なっているとする資料を衆議院予算委員会に提出しました。
そして、二月の二十八日に、新年度予算案が衆議院本会議を可決、通過した日の夜、安倍総理は、精査が必要なデータを示し、それに基づいて行った答弁のみを撤回し、いわゆる働き方改革関連法案の中から裁量労働制の対象拡大部分を全面的に削除する方針を示し、実態を把握した上で議論をし直すと述べられました。この時点では、まだデータそのものは撤回されていませんでした。
そして、私が驚いたのは、法案から、裁量労働制の対象部分を全面的に削除するというその言葉の意味であります。裁量労働制の対象拡大だけではなく、現行の裁量労働制の規制強化までもが丸々削除されるということでありました。
独立行政法人労働政策研究・研修機構が行った裁量労働制で働く人たちへの実態把握調査のうち、自由記述欄には大変深刻な意見が記載されています。
裁量労働制に満足であるというふうに答えている人、やや満足と答えている人、やや不満と答えている人、不満と答えている人、それぞれなのでありますが、裁量労働制に満足と答えている人の中からも、長時間労働への懸念を訴える声が多数記載されているということであります。
例えば、長時間勤務に利用されないことを望みます、あるいは、長時間労働が常態化している場合の規則ですとか、裁量というのは名ばかり、朝九時出勤が固定化され、夜も二十時、二十一時まで勤務は常、もう少し働きがいがあるような制度の見直しをとってもらいたい、このままでは優良企業とは言えない、裁量労働制は労務管理上なくしてもよいのではと思う、時間外、休日労働、深夜とフェアに対応すべき。これは、現行の裁量労働制に満足と答えておられる方々の声であります。
やや満足と答えておられる方々の中にも深刻な声があります。
現在の職務は残業が多く、有休もとりづらい、仕事の量を見直すか、量に見合う評価にしてほしい。これが生の声なのであります。
そして、先日、法案審議の真っただ中に、新たな過労死事案が報道されました。二十八歳の男性がクモ膜下出血で過労死したのです。発症前二カ月平均で八十時間超え、発症前三カ月は百八十四時間三十分という長時間労働となっており、裁量労働制に適用になった直後、三日間にわたって連続勤務、そして、その後にクモ膜下出血を発症してお亡くなりになりました。
この男性の基本給は二十五万二千円、裁量職務手当は六万三千円と辞令に書かれていました。これを知ったときの御家族の思いはいかばかりだったでしょうか。余りにも無念であります。
こうした実情を見れば、規制の強化が必要だと考えるのが自然です。
しかし、安倍政権は、そして加藤大臣は、裁量労働制の対象拡大ができないのであれば規制強化などやる意味がないと言わんばかりに、これも削除してしまいました。一体誰のための働き方改革なのですか。
三月二十三日、厚生労働委員会での私の質問に対して、加藤大臣は、問題となっている調査から裁量労働制に関するデータを撤回すると表明しました。遅きに失したと言わなければなりません。
先ほど申し上げたように、このデータは捏造されたのではないかという疑いがあるのです。捏造の疑いがあるその理由を、提出された資料から読み解きたいと思います。
一つ、専門業務型裁量労働制と企画業務型裁量労働制の時間数は、実際には労働時間の状況であったのに、タイトルや注釈では、労働時間とだけ表記されていました。
二つ、一般労働者の十一時間十一分と九時間三十七分は計算式で求めたものであるのに、その旨を記載していません。
三、裁量労働制の欄、すなわち専門業務型裁量労働制、企画業務型裁量労働制と一般労働者の欄では違うものを捉えているにもかかわらず、問題なく比較できるかのように、一つの表にきれいにまとめて記載しています。
四つ、計算式では実際の実労働時間は算出できず、法内残業の有無が考慮に入れられていないため、過大推計になるということを明記してはおりません。
五つ、一般労働者の平均的な者と最長の者の欄は、最長の一日の法定時間外労働の実績を示していることを明記しておりません。
六つ、実際は、一般労働者のデータは最長の一日のものであるにもかかわらず、注釈には、「表は調査対象期間における一日当たりの労働時間の平均を示したもの。」という、事実と異なる注釈が記載されています。
七つ、計算式によるデータを含んでいるにもかかわらず、「平成二十五年度労働時間等総合実態調査(厚生労働省)」と、あたかもこの表が調査結果のデータそのものであるかのように表記しています。しかも、出典などとは書いておらず、実は、私が先ほど読み上げた「平成二十五年度労働時間等総合実態調査(厚生労働省)」の前には、意味不明な米印が記載されておりました。この印をつけることにより、あたかもそれが出典の表記であるかのように装っています。
八、平均的な者の定義を明記していません。
九、一般労働者の労働時間の下限値は八時間であるにもかかわらず、あたかも七時間以下の一般労働者も存在するかのように装って表が作成されています。
十、注釈に「統計上集計を行っていない。」と書かれているのですが、これは意味不明です。個票データから集計を行うことは可能なはずです。それにもかかわらず、集計できないかのように書いているんです。七時間以下の一般労働者がいるかのように装っている、この問題をごまかすためになされた説明としか思えません。
なぜ、このようなデータが作成されたのでしょうか。
この作成プロセスについて問われた加藤大臣は、特段不自然なところはないなと思いました、こういうふうに答弁しているんです。不自然なところだらけだから、いろいろつつかれると問題が掘り起こされてしまうので、問題にふたをするためにそういう答弁をあえてしたのではないか、そういう疑いを私は持っております。
五月の七日、連休が明けるころです。自民党厚労部会長の橋本岳議員が、フェイスブックにある投稿をいたしました。問題の「※平成二十五年度労働時間等総合実態調査(厚生労働省)」というこの資料は、当時、野党の側から何か出せ出せと言われて、しつこく要求を受けて、仕方なく厚生労働省がつくり上げたものだと。何か、厚生労働省をかばい、加藤大臣の責任を回避させるような投稿を行ったのです。
厚生労働省幹部の記者会見、そして橋本岳議員のフェイスブックの投稿でも、このデータが、厚生労働省の担当者が手元にある資料でうっかりつくってしまい、それを局長までうっかり了解してしまったかのような説明がなされています。(発言する者あり)がっくりです。答弁資料も原典も何も確認せずにうっかりと引き継いでいたというような説明もされておりました。橋本岳議員のフェイスブックでもそういうふうに書かれておりました。
しかし、先ほど私が申し上げましたように、この比較データはうっかりつくれるものではありません。何がしかの意図を持って作成しなければ、こんなうそっぱちの数字が出てくるわけはないんです。
このデータがどういうプロセスで作成されたのか、野党は委員会の中で検証を求めました。加藤大臣は、先ほど申し上げたように、特段不自然なところはないというふうに答弁をしておられましたけれども、不自然なところだらけであることは申し上げたとおりであります。
厚生労働省の監察チームで調査するという報告が理事会でありましたが、この検証結果がいつになったら提出されるのかも明らかにはなっておりません。こういう状況で、本当に採決をするんですか。
そして、その検証の中で、ぜひお願いしたいことがあります。単なる役所内部の担当者の責任論で終わってはなりません。トカゲの尻尾切りで終わってはならない。このことをあらかじめ申し上げておきたいと思います。
問題はまだまだ残っています。
当初、裁量労働制に関するデータを撤回したとのことで、一万一千五百七十五件のうち、一千五百二十六事業場のデータが削除されました。その後、更に野党の求めに応じて精査し、異常値が発見されたとして九百六十六事業場分が削除されたものが提出されてきました。もともとのデータから二割も削除されてしまったのです。
大臣、お忘れかもしれないので確認をさせていただきますと、このデータから、要するに当初のデータから、当初ではありません、当初のデータから裁量労働制のデータを削除したものから削除されたものは、明らかな誤記と考えられるもの、理論上の上限値と考えられる数値を上回るもの、複数の調査項目間の回答に矛盾があるもの、そしてそこに、国会等の場で精査が必要との指摘を受けた事項、すなわち、1一日の時間外労働が二十四時間を超えるもの、当たり前ですね、2一日の時間外労働時間数と法定労働時間八時間を合算した場合に二十四時間を超えるもの、3一週と月、一日と月、一日と一週について時間外労働時間数に逆転が見られるもの、4月の時間外労働時間数は記載されているが一日や一週の時間外労働時間数がゼロとなっているもの及び一週の時間外労働時間数は記載されているが一日の時間外労働時間数がゼロとなっているものという、誰の目から見ても明らかな異常のあるもの、これが削除されてきたのであります。
この精査結果が提出されたのは、法案審議が始まって二週間後の五月の十五日のことでありました。労政審の委員の方々には、その結果を郵送したということです。この結果が労政審の議論の出発点であったにもかかわらず、データが間違っていましたといって、この時点での正しいとされるデータを厚労省は郵送したんですね。果たして郵送だけで間に合いますか。労政審に差し戻して議論をやり直していただく必要があるのではないでしょうか。
労政審で平成二十五年度労働時間等総合実態調査の結果の説明があったのが、最初にあったのが二〇一三年の十月です。五年近くたって新たなデータが出てくる、これはもう腰が抜けそうな話であります。
労働時間等総合実態調査のデータは、労働時間法制の見直しを議論した労働政策審議会において議論の出発点として紹介されたもので、これはエビデンスベースの議論をしていかなければいけない上で本当に重要なものだと思います。しかし、二割ものデータを除外しておきながら、加藤大臣はなお、統計としての有効性はあると強弁しています。
その後もデータ問題は続いています。精査後のデータについても、要は、この五月の十五日に提出されたデータについても、誤りと疑われるものがあったのです。
例えば、事業場が単独事業場であるにもかかわらず、事業場規模と企業規模が異なるというもの。事業場規模が一人であるにもかかわらず、最長の者と平均的な者の二人が存在するということ。企業規模が一万人より上であるにもかかわらず、調査対象が一人の事業場規模となっているというもの。これは実は結構多数あるんです。
事業場規模は三百人以上だが、最長の者、平均的な者、ともに、一日、一週、一カ月、一年、全てがゼロという事業場。三百人以上で本当にそんなことがあり得るのでしょうか。最長の者、平均的な者、ともに、一日、一年、そして一カ月、一年、全てが同じ時間のもの。偶然と言うには余りにも奇なるところがあります。
そして、精査前の結果をもとに加工され、クロス集計するなどして労政審や政党、国会に提出された資料の中に、精査前と精査後で看過することのできないデータの相違が何カ所にも見られるということを野党は指摘いたしました。
例えば、特別条項つき時間外労働に関する労使協定において定める特別延長時間別の法定時間外労働の実績であります。
一年について、一般労働者の平均的な者において、法定時間外労働の実績が一千時間超であり、ということは、つまり、一年の特別延長時間が一千時間超なのでありますが、精査前の数字では、一千時間がいませんので、失礼、法定時間外労働の実績で八百時間超一千時間以下であり、一年の特別延長時間の一千時間超の方が、精査前の数字では五〇・三%であったのに、精査後には何と三・四%へと著しく減少しているものがあるのです。
また、特別条項つき時間外労働に関する労使協定において定める特別延長時間別の法定時間外労働の実績、一年について、一般の者、最長の者、これで、法定時間外労働の実績が三百六十時間超えの方で一千時間超、すなわち一年の特別延長時間で一千時間超の数字を見てみますと、精査前のデータでは四八・五%でしたが、精査後には何と三・九%になっているんです。
そして、尾辻委員が発見した事業場番号五六八四と五七〇〇、事業場の規模も、一日、一週、一カ月、一年、全ての時間外労働の時間数がぴったり一致するというデータもありました。
この点について委員会の中で質問がありますと、局長は、そういったことも理論上はあり得ると答弁しました。大臣は、精度が上がったんだ、その一点張りの答弁でありました。
理事会の中で更に議論いたしますと、一万一千五百七十五件の事業場の中で、異なる事業場が一日、一週、一カ月、一年の時間外労働時間数がぴったり一致する確率は十の十二乗分の一ではある、ゼロではないというふうに担当者が説明をいたしました。そして、けさになって、冒頭申し上げたように、異なる事業場の通し番号でデータが全て一致しているという六件が、コピーの混在によって同一の調査票を二重に集計していたことを明らかにしたのです。
法案を採決せよと政府・与党が言うきょうの朝の理事会になって、これを提出してきたのです。あり得ません。データが間違っていました、ですが採決してください、応じなければ強行採決します、こういうことですか。こんなむちゃくちゃで議論せよとは、結果ありきの議論であって、民主主義の根幹を揺るがす大問題であります。
そして、野村不動産の特別指導に関する問題です。
二〇一六年、野村不動産の五十代男性社員の方が過労自殺されました。二〇一七年の春に御遺族が労災申請を行いました。新宿労働基準監督署がその調査に着手し、十月の三日に新宿労働基準監督署は自殺を労災認定する方針を固めたと報じられております。
十一月の十七日から十二月の二十二日にかけて、厚労省がこの件に関する特別指導について計三回、加藤大臣に報告しました。十二月の二十五日に、当時の勝田東京労働局長は野村不動産に特別指導を行いました。そして、翌二十六日、労働基準監督署は、この男性社員の過労死を労災認定をしました。その同じ日に、東京労働局長は記者会見で、野村不動産に対する特別指導を行ったことを公表したのであります。
そして、ことしの二月二十日以降、加藤大臣は、裁量労働制の違法適用を取り締まった好事例として、国会答弁で野村不動産に対する特別指導を挙げ、しっかり監督指導を行っていると何度も答弁をしました。
しかし、野村不動産が裁量労働制の違法適用を始めたのは十数年前と聞いております。長年にわたった違法適用を見抜けなかった。そして、その上に、野村不動産に対する特別指導、これは史上初の特別指導であります、これをとったという経緯は極めて不透明であり、三月二十八日に、私たち野党が要求しておりましたところ、厚労省はこの特別指導前に加藤大臣への報告で使った資料を提出してきたのですが、これがほとんど黒塗りでありました。このマスキングを外すように何度も多くの議員が質疑で求めましたが、今なお開いてはおりません。我々が、特別指導の端緒が過労死であったことを認めるよう再三求めても、加藤大臣はかたくなに拒み続けています。
特別指導とは厚労省の歴史において前例のないケースですが、なぜ野村不動産なのかという合理的な理由が加藤大臣の口から聞かれることもありません。監督指導を恣意的に行ったのではないかという疑いを晴らすことはできていないのです。
昨年十二月二十六日、東京労働局が野村不動産に違法な裁量労働制の適用があったということで特別指導を行ったとの報道があった際に、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日本経済新聞は、これに、是正勧告をしたと見出しをつけていました。約六百人の営業職の労働者に対して裁量労働制を違法適用して行っていたため、是正勧告を行ったということであります。
これを捉まえて、加藤大臣は、裁量労働制で長時間労働につながるのではないですかという野党からの質問に対して、野村に対して特別指導を行ったと、あたかも労働局の監督の好事例のようにこれを持ち出して、繰り返し答弁していたのであります。
ところがです。野村不動産で過労死があったことが報道されました。過労死をきっかけとして野村不動産に監督に入っていたのだとすれば、これは好事例でも何でもありません。人が死ぬまで監督に入れなかった失敗事例ではありませんか。
しかも、野村不動産は十年以上前から裁量労働制を違法適用していたのですが、東京労働局は四年前にも野村不動産に監督に入っていたということもわかりました。そのときには違法適用を見抜けていなかったのです。今になって野村不動産への特別指導を監督指導の好事例として広告的に言うのはやめてもらいたいのです。
裁量労働制が拡大されたり、高度プロフェッショナル制度が導入されたりしたら、長時間労働が助長される。過労死の犠牲がまた出てしまいます。
今回の野村不動産に関して、なぜ特別指導をやることになったのか、その経緯は一向に明らかになりませんでした。特別指導は過労死がきっかけだったのではないかと私たちが問うても、個別の事案については答えられないという一点張りであります。過労死された御家族の方が、東京労働局に、過労死であったことを認めてもよいという趣旨のファクスを送った後も、加藤大臣の対応は全く変わりませんでした。
人が死なないと裁量労働制の違法適用を見つけられないのですか、大臣。そのような中で裁量労働制を拡大しようと企図するなど、言語道断であります。
過労死があった場合に、その企業に監督指導に入ることは厚生労働省も認めています。しかし、その結果、たとえ是正勧告を行っても、基本的にはそのことを厚生労働省は公表しないことになっています。だから、特別指導という新たなスキームをつくり上げ、裁量労働制の違法適用で特別な指導をしたと大々的に打ち上げた。これだけしっかり監督ができているのだと言いたかった。大臣、そうなのではありませんか。
違うなら違うと明確に言ってもらいたいんですが、その否定も委員会の中ではありません。東京労働局が記者会見で口を滑らせてしまったため、多くのメディアが是正勧告が行われたと書いたのですが、厚生労働省はいまだに野村不動産には是正勧告に入ったことを認めておりません。
勝田東京労働局長、前職ですが、局長は、野村不動産への特別指導か何かを行うことを想定し、毎月行っている記者会見の十一月の記者会見時に、十二月二十六日にはプレゼントがあると発言していました。過労死を端緒として監督指導に入った結果の特別指導であるならば、これをプレゼントなどと呼ぶのは余りに不謹慎です。
また、是正勧告をしたと口を滑らせた後に、何なら皆さんの会社に行って是正勧告してもいいんだけれどもなどと語ったことは、マスコミへの恫喝であります。労働行政の信頼を土台から揺るがす発言であります。
勝田東京労働局長のこの会見録のテープ起こしは野党から求めたものでありますが、厚生労働省は当初これを拒んでいました。全部を起こしてほしいと依頼したにもかかわらず、当初、都合のいい部分だけ書き起こして抜き書きして、そして、A4一枚のペーパーの最後の二行に、いずれの会見においても是正勧告を行ったことを認めた発言はなかったものと承知しているという恣意的な解釈をつけ加えて、理事会に提出してきました。
しかし、その後、求めに応じて公表された会見録の全部を見れば、是正勧告したことを東京労働局長が認めていることは明白です。これでもしらを切るのですか。
あんないいかげんな解釈つき会見録を提出してきた加藤大臣の責任は極めて重いです。せめてそのくらいは自覚してください。
不信任の第二の理由は、高度プロフェッショナル制度の創設を推し進めようとしていることであります。
加藤大臣は、労働時間規制を裁量労働制よりも更に緩和し、長時間労働を助長する高度プロフェッショナル制度の創設を盛り込んだまま、働き方改革関連法案を国会に提出しました。
厚生労働委員会においては、過労死がふえるのではないか、違法適用を見抜けないのではないか、過労死が発生した場合の労災認定がされにくいのではないか、なし崩しで対象業務の拡大や年収要件の引下げが行われるのではないかといったさまざまな疑念が示されましたが、これまた御飯論法、はぐらかしの答弁に終始し、労働者の不安を払拭するような誠実な答弁はありませんでした。
高度プロフェッショナル制度が取り返しのつかない危険を及ぼすおそれがあり、断じて容認することができないと訴えていらっしゃるのが、過労死の御家族の会の方々であります。
全国過労死を考える家族の会の方々が加藤大臣と面会した際にも、高度プロフェッショナル制度の削除を求められました。しかし、その際の記録として厚生労働省が理事会に提出した資料においては、高度プロフェッショナル制度を削除してほしいという重要なポイントが抜け落ちているなど、過労死遺族の思いを真剣に受けとめようという姿勢がみじんも感じられません。
国民の命と健康を守るべき厚生労働大臣が、労働者を死に追いやる可能性がある高度プロフェッショナル制度の創設を推し進めるに至っては、大臣としての資質なしと言わざるを得ません。
高度プロフェッショナル制度については、とても重要な大臣不信任案のポイントですので、それぞれ詳しく述べさせていただきます。
第一に、全国過労死を考える家族の会の皆さんの訴えをなぜ聞き入れないのかという点です。
この間、安倍総理との面会、これを家族の会の皆さんは求められてまいりました。採決前に会って、大切な家族をある日突然に過労死で亡くした者でなければ語れない言葉、それを安倍総理に聞いてほしいということだと思います。そして、高度プロフェッショナル制度は法案から削除してほしい、その思いは加藤大臣に面会した際にも要望していたと聞いております。
しかし、安倍総理との面会はいまだかなってはおりません。所管である厚生労働大臣に任せたからと言い残して、ロシアへ飛び立っていかれました。安倍総理は、加計理事長とは年十九回もお会いになっているのに、なぜ、人生をかけて、働く者の命を守るため、過労死の根絶を目指して努力している過労死御家族の会の方々とは会うことができていないのでしょうか。六人いる秘書官はいろいろな方々とお会いになっているというのに、なぜ家族会の方々が会うこともかなわないのでしょうか。
この国会は働き方改革国会だと胸を張って語っていた総理ですが、都合が悪い話からはこんなに簡単に逃げるのですか。
先日、参考人として委員会に来てくださった家族の会の寺西笑子さんは、過労死は、真面目で責任感が強い人が被災する、極めて理不尽な出来事だとおっしゃっていました。私は、これを聞いて、過労死は誰にでも起こり得ることだと本当に思いました。
高度プロフェッショナル制度の対象者は専門職で年収が高い人で、そして健康確保措置もとるから大丈夫だと大臣は言うのでしょうが、よく聞いてください。専門職だからといって、年収が高いからといって、体が丈夫だとは限りません。専門職だろうが、高年収だろうが、過労死しないとは限らないのです。その認識を持てない大臣は、厚労大臣として決定的にその資質に欠けていると言わなければなりません。
第二に、さまざまな規制が適用除外になっており、健康確保措置をとるからといっても、そもそも健康を崩してしまうおそれが非常に強い働き方になるおそれ大であります。
現行の労働基準法では、管理監督者であっても深夜割増し賃金は適用することになっています。深夜業務が心身に大変な負荷を与えることが知られているからこその規定と思います。
しかし、高度プロフェッショナル制度は、この深夜割増し賃金すらありません。四週間で最初の四日間だけ休ませれば、あとの二十四日間は二十四時間連続してずっと働かせることが可能になる仕組みなんです。こんな仕組みを導入する加藤大臣に、労働者の権利を守る資格などこれっぽっちもないと申し上げます。
第三に、自民党内で高度プロフェッショナル制度に対する無理解の程度が甚だしいということです。
先日の長妻委員との質疑で、ある自民党の議員が、先ほど私が第二で申し上げた深夜割増し賃金について誤ったやじを飛ばして、長妻委員にたしなめられていました。
また、先日は、自民党、公明党、維新の会の三党による修正案がまとまったそうで、委員会に提出され、その質疑を行う環境になったのですが、ある自民党議員が質問に立ち、のっけから、修正案はきょう見たばかりでよくわからないから質問しない、こんなふうに発言するなど、とんでもない状況だということがよくわかりました。
こんな状況で、本当に採決できる環境だとお思いですか、加藤大臣。私は、今採決すれば、自民党の議員も理解していないという意味においても強行採決になりますから、やってはいけないと思います。
第四に、万が一、高度プロフェッショナル制度で過労死されたら、労災認定されるのかという問題があります。
高度プロフェッショナル制度は、実労働時間を把握、管理いたしません。業務内容と年収だけがほぼ要件で、賃金は時間に連動しないからです。答弁を聞いていると、どうも成果とも余り連動しない。それは企業が裁量で判断するのだそうです。つまり、法律による縛りはありません。そうすると、仮に過労死された場合、労災認定はどのように行うのでしょうか。
普通に考えれば、健康管理時間から実労働時間を算出しなければなりません。現状でも、実労働時間は真の労働時間をあらわしていることは少なく、労災認定で困難をきわめるケースは少なくないのです。というか、逆に言うと、それがほとんどなのです。これが、実労働時間も管理しない仕組みをつくればどうなるのか。健康管理時間から実労働時間を証明するのはほとんど困難になるのではないか、このことは火を見るより明らかであります。
過労死御家族の会の寺西さんは、同じ家族会の皆さんのケースを丁寧に御紹介くださいました。意見陳述の内容を、労災認定の困難さとあわせて紹介をさせていただきます。
随行席の全国家族の会東京代表の中原のり子さんは、一九九九年に小児科医だった御主人を四十四歳で過労死で亡くされました。
勤務状況は、月に五回から八回の当直と救急患者、入院患者の対応をし、眠る間もなくそのまま日勤をこなし、三十二時間連続勤務という疲労こんぱい、過重労働の末に過労死されました。中原さんは、三人のお子さんを抱えられ、御主人の労災認定されるまで八年、民事裁判で最高裁まで闘われ、十一年、御苦労さまでした。
ドクターは患者の健康を治すのが仕事ですが、御主人の実態は、体調が崩れても休むことができず、健康管理がされないへとへとの状態で職務につかれ、過労死に追い込まれました。
中原さんは、夫は安倍政権の狙う高度プロフェッショナル制度の先取りで過労死したと訴えられ、医師の働き方改革に励んでいます。
もう一人の随行者は、全国家族会遺児の会の代表渡辺しのぶさんです。二〇〇〇年に大手電機メーカーエンジニアで四十歳だった御主人を過労死で亡くされました。
勤務状況は、毎日朝六時半には家を出て、終電で帰宅、土曜は出勤、日曜は持ち帰り仕事、その合間に海外出張があり、移動は土日を使うため、帰国したら翌日から出社、出張前後の休みはないとの状況で、夫婦で過労死しそうだねと話したことはあったが、現実になったのです。
御主人が亡くなった後、会社に行ったところ、当時の上司から、おたくの場合は労災ではない、裁量労働だったからと言われました。課長になると裁量労働になるらしいとは会社から説明がなかったことで、それがどういうことなのか、本人も家族もわかっていなかったようです。会社は裁量労働制だから労働時間を管理しておらず、しのぶさんは、二人の子供を抱え、労災申請のために労働時間を算出するのに大変御苦労されました。
三人目は、朝日新聞二〇一五年三月二十七日掲載記事の方です。Aさんの息子さんは、二十七歳の若さで過労死されました。大学院を出て、東京の大手印刷会社へ就職し、研究開発部門に配属され、入社二年目から専門業務型裁量労働制の適用対象者になりました。
規定で二十二時以降の残業は許可が要るとのことで、息子さんは、自主申告すると上司から殴られたそうです。息子さんは、その後は、帰ったことにして仕事をしていたようです。
友人に送ったメールには、夜中の一時に帰宅、三時就寝、朝六時半起床、七時過ぎ出勤。友人への返信も、元気にしてない、毎日午前様で、あすは徹夜かもという、過労死寸前の毎日深夜帰宅のメールが残されています。
実際は、これをはるかに超える実質的な拘束時間があったものと推察されます。つまり、裁量労働制は、使用者が正しい労働時間管理をせず、本人へ過少申告を強要し、サービス残業をしないと仕事が回らないのが実情で、裁量労働制で死んでも、自己責任にされ、労災認定されない実態があります。
死人はふえても過労死は減るという事態が起きる、死んでも自己責任で片づけられ、苦しむのは残された遺族だ。三十一歳で過労死したNHK記者の佐戸未和さんの母、恵美子さんは、このように述べておられます。
高度プロフェッショナル制度は、スーパー裁量労働制です。大臣、過労死をなくすというのであれば、高度プロフェッショナル制度の導入はやめてください。
第五に、業務の内容が極めて曖昧模糊としており、業種の拡大も今後起こり得ると考えなくてはなりません。また、年収要件が引き下げられることへの懸念は、これまでの労働法制の変遷から考えても容易に想像されることです。参考人としてお越しくださった連合の神津会長は、そのことを力説されておられました。
先日、岡本充功委員の質問で、企画業務型裁量労働制と高度プロフェッショナル制度の重なる部分があることを大臣も認めました。今現在企画業務型裁量労働制の労働者が、高度プロフェッショナル制度に移行する可能性があるということです。それは本当に恐ろしいことで、絶対にとめなくてはなりません。
第六に、労働者の声を聞いて高度プロフェッショナル制度をつくったと大臣は豪語しておられましたが、岡本あき子委員の質問に対し、わずか十二人の労働者にしか話を聞いていないことが明らかになりました。労働基準法に脱時間給という新たな仕組みを導入しようという割には、いかにもアリバイ的な労働者ヒアリングです。
こうしたことから、理事会では公聴会の開催を求めてきましたが、与党からはやらない理由ばかりたくさん聞かされ、拒否されました。
振り返って考えてみれば、労働政策審議会に高度プロフェッショナル制度が日本再興戦略会議からのっかってきたのは、労政審の議論がかなり進んだ時点でのことです。労働者抜きでこんな大事な議論をやってはいけません。
第七に、高度プロフェッショナル制度の同意の撤回についても申し上げます。
政府案の法案の中でもそれは可能なんだ、同意の撤回は可能だという説明を私は受けてきました。しかし、今回、自民党、公明党、維新の会が、高度プロフェッショナル制度の同意の撤回を可能とするという法案修正を提出してきました。これは一体どういうことですか。本当は同意の撤回ができない中身の法案だったのですか。だとすれば、国会議員に対して誤った説明を加藤大臣はさせていたということになります。
第八に、この法案が、八本もの大きな法案を、まとめて、束ねて提出してきた手法について厳しく抗議します。
私は、大臣が高度プロフェッショナル制度を削除しさえすれば、法案の残りの部分については前向きに議論し、確認答弁などもとっていきたい、賛成もあり得べし、このように考えてきました。しかし、高度プロフェッショナル制度を削除するつもりはないと、総理も大臣も明確に答弁しておられます。
しかも、高度プロフェッショナル制度など悪いものと、それから他の労働者権利のためのよいものが、まざって一本の法律に束ねられている。どこかで見た手法です。安全保障法制と同じであります。よいものも悪いものもごちゃまぜにして野党が賛否を決しにくくする常套手段、これをとるのはもうやめてください。
第九に、世論調査によると、この法案を今、国会で通す必要はないと答えている方の割合が、常に六割から七割に上るということであります。急ぐ必要はありません。
みずからの生活スタイルに合わせて働きたい、そういうニーズもあるでしょう。それならば、今あるフレックス制や規制を強化した上で裁量労働制での対応が可能なのではありませんか。どうしてアメリカのホワイトカラーエグゼンプションから二周も周回おくれの高度プロフェッショナル制度を今導入しなければならないのですか。高度プロフェッショナル制度を導入して長時間労働がふえ、過労死が生まれてしまったら、誰が責任をとるのですか。労災認定は必ずすると大臣は言えるのですか。
失った命は返ってきません。その前に、どうか一度、加藤大臣には立ちどまっていただき、高度プロフェッショナル制度を削除していただきたいのです。
山井議員の御了解をいただきまして、過労死でお父さんを亡くした二人の遺児についての文章を、私からも読み上げさせていただきます。
大きくなったら ぼくは 博士になりたい
そしてドラえもんに出てくるような
タイムマシンを 作る
ぼくは タイムマシンに乗って
お父さんの死んでしまう 前の日に行く
そして 仕事に 行ったらあかんて 言うんや
大きくなっても ぼくは 忘れはしないよ
得意な顔して作ってくれた
パパ焼きそばの 味を
ぼくは タイムマシンに乗って
お母さんと一緒に 助けに行こう
そして 仕事で 死んだらあかんて 言うんや
仕事のための命じゃなくて
命のための仕事だと ぼくは伝えたい
だから 仕事で 死んだらあかんて 言うんや
次は、過労死でお父さんを亡くした三歳の女の子についての毎日新聞の記事であります。
毎年六月になると思い出すことがある。過労死で夫を亡くした女性の話を聞きに東海地方を訪れた時の話だ。もう、十年以上前のことだが、蒸し暑さと共によみがえる。
家を訪ねると、三歳ぐらいの女の子が、白いレースのワンピースに赤いエナメルの靴でおすましして、玄関にちょこんと座っていた。誰かを待つかのように、背筋を伸ばし、ほんのり笑っていた。
二時間近く女性の話を聞いた。昼夜問わず携帯で指示を受け、月百時間を超える残業。体がきついと退職を決意した直後、営業車の中で休んでいて突然死した。まだ三十代になったばかり。結婚七年目で授かった愛娘を残して世を去らねばならなかった無念に胸が締め付けられた。
帰り際、少女は、まだ玄関に座っていた。気丈に振る舞っていた女性が大粒の涙をこぼした。「休みの日は、かわいい格好して、良い子にしてれば、お父さんが迎えにきて遊びに連れてってくれると待っているんです」。体全体で父を求めるいじらしさに涙が止まらなかった。長時間労働は家族みんなから大事な時間を奪う。少女の小さな背中はそう告発していた。
議場内の皆さん、立ちどまるとすれば、今しかありません。過労死は、働いて亡くなった方の自己責任の問題では決してなく、時間管理をしない働き方を認める社会そのものが生み出す災害です。誰かが過労死の被害に遭ってしまわないように、過労死を促進する高度プロフェッショナル制度はやめましょう。命を守る国会の責務を果たすよう、与野党問わず、全議員に呼びかけをいたします。
人の命がかかわった法案の審議で、はぐらかし、論点のすりかえ、そして、あるかの、ないような話を過大に答弁をする御飯論法の答弁を続ける加藤大臣に、働き方改革を推進する資格はありません。そして、国民の命を守るために、高度プロフェッショナル制度を導入する、これに待ったをかけるとすれば、採決直前の今のタイミングしかありません。
加藤大臣からは、大臣の職をおりていただき、そして、もう一回労働時間の調査をやり直して、本当のエビデンスに基づく本当に必要な法制をやるべきです。国会軽視の姿勢、これは加藤厚生労働大臣に甚だしく、繰り返し行政に対する信頼を揺るがしたという責任を大臣は負わなければなりません。
以上、るる申し述べたことが、本院が厚生労働大臣加藤勝信君を信任せずとの理由であり、ここに加藤勝信君不信任決議案を提出するものであります。
議員諸氏がその良心に従い、本決議案に御賛同いただくことを訴えて、趣旨説明といたします。
ありがとうございました。(拍手)