■西村智奈美委員
民主党の西村智奈美でございます。
この教育基本法に関する特別委員会、前通常国会から数えまして、参考人質疑も含めてですけれども、4回目の質問に立たせていただくことになりました。まだまだ、実は、私自身は政府案に関する逐条の審査もできておりませんので、きょうは、これからということで、具体的に少し入っていきたいと思っております。まだ実は、内容的あるいは手続的にも積み残したことはたくさんあるんですけれども、またそれは同僚の委員、そしてまた後日機会をいただいて質問をさせていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いをいたします。
さて、まずは、いろいろあるんですけれども、教育の機会均衡という点から、第4条について伺っていきたいと思っております。これは自民党の鳩山邦夫議員が6月にも質問をされておられますけれども、障害児の教育についてであります。
私が条文を拝見しておりまして、第4条の第2項、「障害のある者」ということで特別に抜き出して規定をされておるわけであります。なぜこれは特出しされたのか。中教審の答申が、「障害のある子どもなど教育を行う上で特別の支援を必要とする者に対して、その必要に応じ、より配慮された教育が行われる」というふうに記してある関連かというふうにも思ったんですけれども、それであれば、「障害のある子どもなど」ということになっているわけですから、ここはきちんと、その中教審の答申どおり記載されてもよかったのではないかと思いますけれども、あえてここが「障害のある者」ということで特別規定になった、その理由を伺います。
■田中壮一郎政府参考人(文部科学省生涯学習政策局長)
お答え申し上げます。
法案第4条第2項の新設の趣旨についてのお尋ねでございますけれども、この趣旨は、障害のある者に対しまして、障害の状態に応じて、より配慮された教育が行われるよう、国や地方公共団体が積極的に必要な支援を講ずる旨、規定しておるところでございます。
御指摘のように、中央教育審議会におきましては、「障害のある子どもなど教育を行う上で特別の支援を必要とする者」と述べられておるところでございまして、子供のみならず、障害に応じて特別な支援が必要な者という意味で「障害のある者」と規定しておるところでございます。
■西村(智)委員
特別に抜き出されたことの理由、明快なお答えはなかったというふうに思います。この点について重ねてお伺いをいたしたいのと、それから、今、能力に応じた教育とおっしゃいましたでしょうか、「能力に応じた教育」ということですとこの条文のとおりであるわけなんですけれども、これは現行法の「能力に応ずる教育」と何が異なるのでしょうか。その意味が変わるのか、変わらないのか。「能力に応じた教育」、それから「能力に応ずる教育」、これは多少ニュアンスが違うのではないかと思っております。
つまり、「能力に応ずる教育」と申しますと、個々人の能力には違いがある、それを前提にして、その発達を保障するために必要な教育を提供する、提供しなければならない、そういうことを意味するものとして理解されてきたと承知をしておりますけれども、「応じた」と変えた理由、あわせて伺いたいと思います。
■田中参考人
お答えを申し上げます。
先ほど申し上げましたのは、中央教育審議会の答申では、障害のある子供など教育を行う上で特別な支援を必要とする者、こういうふうに書かれておるわけでございますので、障害のある子供など特別な支援を必要とする者を「障害のある者」というふうに書かせていただいておるところでございます。
それから2つ目には、「能力に応ずる」を「能力に応じた」と変更した理由についてのお尋ねでございますけれども、これは法制的な面から近時の立法例に倣ったものでございまして、「その能力に応ずる」と「その能力に応じた」は同じ意味でございます。
■西村(智)委員
意味は同じだということで確認してよろしいですね。先ほど私が申し上げたとおりの「能力に応ずる教育」、能力の発達の必要に応ずる教育である、同じ意味だというふうに理解してよろしいですね。確認をしたいと思います。
■田中参考人
「能力に応ずる」とは、その教育を受けるに必要な能力を有しているということでございます。
■西村(智)委員
まあ、ここのところは非常に微妙な言い回しで、文言を合わせるということであったと今御答弁ありましたけれども、意味が変わらないのであれば、文言もそんなに変える必要はなかったんじゃないか、私はそういうふうに考えております。
ここのところは、国際的な流れになっております、いわゆるインクルージョン、今社会科学の分野では、ソーシャルインクルージョン、社会的包摂という言葉が一つのキーワードになっておるようでありますけれども、障害児者の教育についても、インクルージョン教育ということで、世界的な主流になっております。子どもの権利条約、これは政府的になじまないということであれば、児童の権利条約と呼んでいただいても構いませんけれども、そこの第2条では、既に障害による差別の禁止を導入しております。
ですので、ここのところは、障害を特出しにすることよりも、例えば第4条の第1項「人種、信条、性別、」、この後に障害などというふうに入れまして、特出しにする必要はなかったのではないか。これは、子どもの権利条約を批准したときに当然入れるべきものだったというふうに私は思うんですけれども、そのあたりについてはどのような御見解でしょうか。
■田中参考人
法案第4条1項におきましては、法のもとの平等あるいは教育を受ける権利を保障するため、すべての国民がひとしく教育の機会を与えられ、教育上差別されない旨を規定しておるところでございまして、このような趣旨にかんがみれば、ここに障害を規定することなく障害の有無による差別も許されないものと解しておるところでございまして、今回の改正に当たりましては、2項によりまして、特に国、地方公共団体が、積極的にそういう必要な支援を講ずる必要があるということを明確に書かせていただいたところでございます。
■西村(智)委員
これは善意に解釈してよろしいんですね、そのように、御答弁どおりに。大臣、いかがですか。
■伊吹文明文部科学大臣
結構だと思います。
■西村(智)委員
鳩山邦夫委員の質問に対して、これは当時の小坂文部科学大臣でありますけれども、「児童生徒の就学先の決定については、保護者等の意見をこれまで以上に十分に聞くようにしていく方向で積極的に検討をしてまいる」ですとか、あるいは「障害のある子供とない子供の交流及び共同学習ということに一層の推進を図ってまいる所存でございます」というふうにお答えになっておられます。これはどういうふうに解したらよろしいのでしょうか。
つまり、国連の子どもの権利委員会から、この間、日本はインクルーシブ教育を早期に実現するようにということで、何度となく勧告を受けております。この答弁がこの国連の子どもの権利委員会の勧告に沿った答弁である、そしてまた法案も同様である、そういう理解なのでしょうか。
■田中参考人
児童の権利条約に基づきまして児童の権利委員会が設けられておりまして、ここが児童の権利条約に関するフォローアップをされておるわけでございますけれども、その中で、教育、これは余暇・文化活動というのも書いておりますけれども、教育及び余暇・文化活動において、障害がある児童の統合をさらに促進することというような勧告も出されておるところでございます。
これを踏まえまして、文部科学省におきましては、小学校や中学校において、障害のある子供、障害のない子供の交流の機会を設け、積極的にこういう交流をするということを促進するために、学習指導要領上もそのような文言を設けますとともに、この児童の権利委員会に対しても、そのようなお答えをしておるところでございます。
■西村(智)委員
子どもの権利委員会にそのような報告を出しているというのは、一体いつの報告ででしょうか。
■田中参考人
平成17年3月1日現在で、このような報告を出していると承知しております。
■西村(智)委員
政府の報告を子どもの権利委員会がどのように受けとめているか、それについては、またそちらの方の評価を待たなければなりませんけれども、私は、率直に申し上げて、日本のインクルージョン教育というのはかなり立ちおくれているというふうに言わなければいけないのではないかと思っております。
実際、この答弁にもありますとおり、例えば、障害のある子供とない子供の交流及び共同学習ということに一層の推進を図っていくというふうに答弁しておられますけれども、実際に交流とか共同学習がどういう実態で行われているか。多くは、分離されている状態の中で1年に1度か2度、何か学校の行事などがあったときに交流の機会を持つということにしかなっていない、これが多くの教育の現場での実態ではないかと思います。
そういった交流教育というような機会が少ないということは、これは、いわゆる知的障害者の施設入所率の国際比較にも、随分と、ある種はっきりと反映されておりまして、例えば、先進国、スウェーデン、アメリカ、イギリスなどと比べますと、日本の知的障害者10万人当たりの施設入所率はこの間ずっとふえてきている、ほかの諸国は減っているにもかかわらずであります。
また、一部には、そういった障害児者とのインクルージョン教育が学力の低下につながるのではないかというような指摘があるわけでありますけれども、OECD諸国のPISA調査などを見ますと、実際には、統合教育、インクルージョンが積極的に行われている国の方が、言ってみれば学力は確保されているというようなことになっているわけであります。
もっとここのところは、はっきりとインクルージョン教育を推進していく、その方針を明確に示すべきではないか。この条文をもう少し詳しく読み込んでいけばそういうふうになるんだとおっしゃるのかもしれませんけれども、ここのところは、国際的な流れにいささか逆行しているのではないかというふうに思いますが、見解を伺います。
■田中参考人
教育基本法の規定は教育全体を通ずるものでございますので、そういう学校における措置も含めまして、教育基本法では、全体として、障害のある者が必要に応じてそういう特別な支援が受けられるようにするという旨を規定させていただいておるところでございます。
■西村(智)委員
いや、何もお答えになっていないと思うんですけれども。
大臣、いかがでしょうか。日本のインクルージョン教育、ここでしっかりと進めていくためにも、今回の教育基本法の審議はより慎重であるべきだというふうに考えますが、いかがでしょうか。
■伊吹大臣
今回の教育基本法の審議は、より慎重であるのではなくて、より積極的にあるべきだと私は思います。
それで、先生が今御質問になっている子どもの権利委員会との関係でいえば、小坂さんがいろいろ答弁をして、そしてその答弁を受けて、保護者の意見を十分聞かねばならないというのが現行の学校教育法の政令からやはり抜けておりますので、それをつけ加えるように今準備をさせております。
それから、今の、国や地方公共団体が積極的に必要な支援を講ずる旨を4条2項に書いているわけですが、これは財政その他の措置のことを書いているわけで、先生がおっしゃった、いろいろなことは教育基本法に書くのがいいという先生のようなお考えもあるでしょうし、この法律で、4条2項等を踏まえて、福祉の部分も含んでおりますから、各法律においてこれを整備していくかどうかは、これは立法技術、立法政策上の問題だと思います。
■西村(智)委員
それでは、第4条の第2項、お伺いをいたしますけれども、「その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、」とあります。その「障害の状態に応じ、」とは、一体どういう意味でしょうか。
■田中参考人
お答えを申し上げます。
「その障害の状態に応じ、」ということは、まさに、その教育を受ける段階にあって、その子供のあるいは大人の有しておる障害の状況でございます。
■西村(智)委員
「その障害の状態に応じ、」もう少し説明していただけますか。これをここに入れたということは、理由があるわけですよね。一体どういう意味ですか。どういう理由で入れたんですか。
■田中参考人
お答えを申し上げます。
まさに、その障害の状態に応じて特別な支援が必要であるかどうか、したがいまして、障害があってもほとんど支援の要らない方もいらっしゃるかもわかりませんけれども、障害の状況に応じて必要な支援を講じよう、そういう意味でございます。
■西村(智)委員
それでしたら、これはなくても通じるのではないですか。仮に「障害のある者が十分な教育を受けられるよう」であっても、何も問題はないと思いますけれども、重ねて伺います。
■田中参考人
その障害の状況に応じというのは、その障害というのは、それぞれ1人1人状態が違うわけでございますので、それぞれきめ細かな配慮をするという意味でございます。
■西村(智)委員
小坂大臣の答弁も読んでおりまして、障害のある子供とない子供の交流及び共同学習ですとか、就学先の決定については保護者の意見をこれまで以上に十分に聞いていく、これを小坂大臣はもしかしたらインクルーシブ教育というふうにとらえておられるのかなというふうに思うわけなんです。もっとこの意味では、積極的に、もう少しインクルーシブ教育というものが実現されるのだという答弁があるのであれば私は納得をするんですけれども、ちょっと今のお答えですと難しい。インクルーシブ教育が逆に後退するおそれがあるのではないかということを私は強く懸念いたします。
ここのところは、やはりもっとしっかりとした答弁をいただかないと、私としては賛同はできませんし、また、改めて、この部分の修正などについてもぜひ検討していただきたいと強くお願いをいたします。
時間もありませんので、次の項目に移りたいと思います。
第9条でございます。第9条は「教員」のところであります。少し飛ばさせていただきました。
現行法の教育基本法、実は私は、1つここでとても好きなフレーズがありまして、それは何かと申しますと、第6条の第2で「法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、」と、「全体の奉仕者であつて、」というこのフレーズを私は非常に愛しておりました。ここは憲法の15条にも公務員、全体の奉仕者としての公務員というものも規定をされておりますが、これが教育基本法の政府案、第9条になりますと、今度は削除されているわけであります。「全体の奉仕者であつて、」というそこの部分が削除をされております。
これは、憲法15条との関係ではどういうことになっているんでしょうか。また第9条の、ここで言うところの「学校の教員」といいますのは、私学の教員についても適用されるのかどうか、伺います。
■田中参考人
「全体の奉仕者」を削除した理由についてでございますけれども、御指摘のように、現行の教育基本法では、学校教育が公の性質を持ち国民全体の利益のためにその職務を遂行すべきであるということから、国公立学校のみならず、私立学校も含めて、教員を全体の奉仕者として位置づけておるところでございます。
この全体の奉仕者は公務員を想起させる文言でございまして、現に憲法第15条におきまして、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」旨が規定されておるところでございます。
したがいまして、今回、私立学校が学校教育において果たしている重要性にかんがみまして、私立学校の条文も新たに起こさせていただいておるところでございますけれども、教員の規定には、公務員を想起させる「全体の奉仕者」との文言は削除をしておるところでございますけれども、学校教育が公の性質を持つものであることや、そのような学校教育を担う教員の職務の公共性は従来と変わるものではないと考えておるところでございます。
■西村(智)委員
それでは第2項でありますけれども、第2項、その教員についてはということで、途中省略をいたしますと、「養成と研修の充実が図られなければならない。」というふうに締められております。養成と研修というのは今回初めて加わった項目でありますけれども、そもそも研修については、教育公務員特例法、ここの中で既にもう規定をされております。それが今回、基本法の中に研修について新たに規定したということになります。私の理解はこうです、基本法という理念法があってそのほかの関連法案が幾つかある、その中で既に特例法で規定されているものをわざわざ基本法という理念法に引っ張り上げてきた。
この理由は一体何なんでしょうか。なぜ特例法で決められているものを新たに基本法に追加しなければならなかったのでしょうか。
■田中参考人
お答え申し上げます。
教育は、教育を受ける者とその人格的な触れ合いを通じて行われるものでございまして、単なる知識や技術の伝達にとどまらないわけでございます。したがいまして、教員は、まさにそういう専門的な能力を高めると同時に、人格を磨いていくことが常に求められておるところでございます。そして、今日の教育を取り巻くいろいろな問題の中で、教員に対する資質の向上が国民の大きな期待となっておるところでございますので、教育基本法の中にも、国公私を通じて教員として、こういう研修それから修養に努めなければならないことを明記させていただいたところでございます。
■西村(智)委員
いや、おっしゃっていることはわかるんですよ。教員の資質の向上のために研修が重要です、それはそのとおりだと思います。それが、その特例法の中で決まっていることを、なぜもう1度わざわざ基本法に引っ張り上げてこなければならないのか。考え方を伺っているのではなくて、私は、法制的に、技術的になぜそういうことをする必要があるのかということについて伺っています。どうですか。
■田中参考人
1つは、技術的な面で申し上げますと、教育公務員特例法というのは、これは公立学校の教員に今適用しておるわけでございますので、これに関しましては、国公私立教員全体に対してこういうことを努力義務として課させていただきたいということでございますし、やはり今日、教育の根本を定める教育基本法の中に、そういう教員の使命というものを明確に書かせていただいたということでございます。
■西村(智)委員
今重要なことをお伺いいたしました。特例法の中では公立学校の教員について定められている、今回、基本法の中にこの研修が入ったということは、私立学校の教員に対しても努力義務としていただきたい、そういうことですか。もう1度お願いします。
■田中参考人
9条1項は、国公私立を通じた教員に対して努力義務を課すものでございます。
■西村(智)委員
私学には建学の精神があります。そことの関連はどういうことになるのでしょうか。この政府案の中では私立学校ということについても書かれておりますけれども、それとの関連で、そこはよろしいという整理をしておられるのですか。私はちょっと乱暴な気がいたしますが、いかがでしょうか。
■田中参考人
学校教育は、国公私立学校ともに公の性質を持つものでございまして、そこで教壇に立たれる教員の方々におかれましては、絶えず研究と修養に励んでいただくことが大切だと考えておるところでございます。
■西村(智)委員
何といいますか、木で鼻をくくったというのはこういうことをいうんでしょうか、ちょっと納得がいきませんけれども。今私は、私学の教員についても努力義務規定だということで、ちょっとびっくりしたんですけれども、非常にマイルドな書き方なんですけれども、知らないうちにいろいろなものが入ってきている。
これが今回の教育基本法の根本的な問題で、今まで現行の基本法で何がどこまで達成されてきたのか、これがきちんと分析されないままに、このように何かいろいろなものが入ってくる。しかも、新しい法律をつくるのではなくて改正だというようなこのやり方は、私は、本当に政府の立法機能もいよいよここまで来たかという感じがするんです。
質問に戻りますが、「自己の崇高な使命を深く自覚し、」とあります。「崇高な」というのと「深く」という文言が新たに記載をされております。これは何を意味するのでしょうか。
■田中参考人
お答えを申し上げます。
改正案第9条第1項におきます自己の使命、すなわち教員の使命とは、先ほども申し上げましたけれども、教育を受ける者との人格的な触れ合いを通じ、単なる知識や技術の伝達にとどまらず、教育を受ける者の人格の完成を目指して、その育成を促すことにあるわけでございます。
したがいまして、教員には、専門的知識や技術の習得だけでなく、豊かな人間性や深い教育的愛情など、全人的な資質、能力が求められておるところでございます。特に近年は、一部に指導力不足の教員でございますとか、教員の不祥事が見受けられるわけでございまして、まさに学校教育が抱える課題が一層複雑化、多様化する中で、教員の資質向上が国民から一層求められておるところでございます。
このような状況におきまして、教員は改めてその重要な使命を深く自覚する必要があるということから、ここに「自己の崇高な使命を深く自覚し、」と書かせていただいておるところでございます。
■西村(智)委員
現行法の第6条第2項、「自己の使命を自覚し、」ここには、先ほど政府参考人が答弁をされたような社会の要請は、では反映されていないということになるんでしょうか。
■田中参考人
ただいま申し上げましたような、教員に対する国民の期待を踏まえまして、そこに「崇高な使命を深く」ということで強調させていただいておるところでございます。
■西村(智)委員
強調ですね。いわゆる修飾語である、こういう御答弁だと思います。
これは、本当にごまかされちゃいけないと思うんです。教育基本法は理念法で、これですぐさま教育の現状がよくなるわけではない。この委員会で何度となく答弁をいただいてきた文言であります。これを第一歩にして新しい関連法の改正を行い、そして教育の環境を整える。もう本当に何度も、耳にたこができるほど聞かされてまいりました。
しかし、例えば子供が授業中に私語をしているときに、静かにしなさいと言って、一たんは静かになるかもしれませんけれども、それで静かにならないのが子供の実態といいますか、学校教育の現場だと思います。修飾語で幾らきれいな言葉をつけ足しても、それが実際に達成しようと、目標に向かっていく、その環境づくりをもあわせてしなければ、これは一体全体、絵にかいたもちといいますか、幾らきれいに着飾っても、幾らきれいな絵をかいても、言ってみれば高ねの花、達成できるような状況が整っていかないということであれば、これは全く意味がないわけでございます。「自己の崇高な使命を深く自覚し、」という文言に、私はそのおそれを非常に強く感じます。
多くの教員は、自己の崇高な使命を深く自覚していると思います。であるからこそ、朝早くから夜遅くまで多くの仕事を抱え、たくさんの報告書を書き、子供たちの個別の対応に走り回っている。私の周囲にも教員をしている知人は何人もおりますけれども、家まで仕事を持ち帰ったり、自分の子供と遊ぶ時間を削って、自分の子供の世話をする時間を削って学校での仕事に対応しているというような話、本当にたくさん聞かされております。
この政府案の第9条、私は、ちょっとそういった教員の皆さんに対しては、大変厳しいものになるのではないか、そういう懸念をしております。それはどういうことかと申しますと、第9条の第1項であります、「絶えず研究と修養に励み、」というふうに書かれております。これは現行法にもなかったことで、新たにつけ加わった項目でありますけれども、実際に今多くの教員は、いわゆる燃え尽き症候群、バーニングアウト寸前になっている教員が多くいます。今、例えばメンタルヘルスを壊して休職している教員の方は何人おられますか。その教員の方、あるいはもう本当に燃え尽きそうになっている方々に対して、「絶えず研究と修養に励み、」というこの基本法が一体そういった教員の方々にどういう影響を与えることになるのか、これは本当に私は懸念をしております。いかがでしょうか、どういう見解でしょう。
■田中参考人
お答えを申し上げます。
先生御指摘の、教員が大変多忙感を持っておったり、あるいはいろいろな疾病にかかられておる、そういうことに関しましてはきちんと手当てをする必要があると考えておりますが、それと同時に、教員の中でも、自分の思いがなかなか子供に伝わらない、自分の教育方法、昔どおりの教育方法では子供がついてきてくれない、そういう問題を抱えている先生方も結構いらっしゃるのではないかというふうに私どもは認識しておるわけでございまして、そういう先生方のニーズに即した適切な研修の機会が与えられることが非常に重要であろうと思うところでございます。
■西村(智)委員
ですから、余計に追い詰められていくのではないですか。「絶えず研究と修養に励み、」というようなこの文言は、私、非常に今多忙をきわめる教員の人たちに対して大変大きな影響を与えることになると思います。
大臣、いかがでしょうか。このあたりの見解について伺います。
■伊吹大臣
先生、教員にもいろいろあるんじゃないでしょうか。もし先生がおっしゃるような崇高な使命を持ってやっておられる教員ばかりなら、なぜ九万近くの未履修の生徒を輩出させるんですか。やはり基本的に、先生の今おっしゃっているような立派な、家へ仕事を持ち帰ってまでとおっしゃっているような立派な先生であれば、この「崇高な使命」だとか何かという理念的なことを書いてもらったもとで自分たちは仕事をしているという誇りが一層大きくなると私は思いますね。
そして、過労になるとかどうだということがあるのならば、それはそれで考えなければいけないことがあるけれども、では、憲法に崇高なことが書いてあるからといって、そのとおり実行している日本人がほとんどいないから、今のような問題が起こるんじゃないんですか。
■西村(智)委員
過労になるようだったらそこは考えなきゃいけないというのは、これは私はびっくりいたしました。大臣の答弁とは思えません。大変に驚きました。
過労の先生とともに過ごして、そして学習の状況に影響が出るのは、またその教員とともに過ごしている子供たちであります。子供たちの教育環境を整えるという点からも、教員の状況を万全にしておくというのは、これは国のやらなければいけない大変重要な責務であると思いますし、今の大臣の、教員が過労になるようであれば考えるというのは、大変私は驚きました。伊吹大臣にそういう発言があるかという感じで受けとめておりますが、そこのところは大変重要なテーマ、問題であるというふうに思いますので、ぜひ今後の審議の中でも明らかにしていかなければいけないと思っております。
さて、続いて第10条について伺いたいと思います。
第10条は家庭教育についてでございます。小坂大臣も前通常国会の中で何度となくこの第10条について答弁をされまして、ここは、「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって」というふうに条文は続いているわけでありますが、大臣の答弁でも、そうではあるけれども、家庭教育の自主性は尊重していきます、しかし、個々の家庭における具体的な教育内容については規定するものではないというふうに答えておられて、新しい法律をつくることも別に意図していないというふうに答弁をしておられるわけでありますけれども、1点伺いたいのは現行法との違いでございます。
現行法の第7条第1項、ここは「家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によつて奨励されなければならない。」というふうに書いてあるわけでありますけれども、今回の政府案第10条と一体何が異なるのでしょうか。多少具体的に書いてあるというレクのときの御説明だったんですけれども、ここを具体的な記述にしたその理由について伺います。
■田中参考人
お答え申し上げます。
現行法におきましては、第7条1項で、社会教育と並んで家庭教育が規定されておりまして、「奨励されなければならない。」という書き方になっておるわけでございますけれども、今少子化が進みまして、家庭教育の重要性が言われておる中、改正案では家庭教育について独立した条文を設けまして、第10条1項で、保護者が子の教育について第一義的責任を有し、その役割を明確にしておるところでございますし、第2項では、家庭教育の自主性を尊重しながら、国や地方公共団体による家庭教育への支援を講ずることについて規定をしておるわけでございます。
したがいまして、従来は奨励するということしか書いておらなかったわけでございますけれども、「家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。」というふうに積極的に規定しておるところでございます。
■西村(智)委員
重要であるということは、それはそのとおりだと思います。だから具体的に記述した、そして国と地方公共団体の役割を明記したと書いてありますけれども、これは現行法第七条でも同様に読めるのではないでしょうか。「国及び地方公共団体によつて奨励されなければならない。」何が違うんでしょうか。私にはやはり疑問であります。
質問は、政府案の第10条第1項であります。「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」とありますけれども、この意味するところ、これを伺いたいと思います。
■田中参考人
改正法第10条1項の趣旨についてでございますけれども、「子の教育について第一義的責任を有する」とは、家庭は教育の原点であって、基本的な生活習慣あるいは倫理観、社会的なマナー、自制心あるいは自律心といったものを養う上で重要な役割を担っておりますことから、その旨を明確に規定をさせていただいたところでございまして、これを言いかえれば、家庭はすべての教育の出発点であるという意味でございます。
■西村(智)委員
家庭はすべての教育の出発点であるということであります。
実は、先ほどちょっと触れました子どもの権利条約にも、親の、何といいますか、教育権などについて規定がございまして、例えば第5条です。
これは外務省の訳文がちょっと面倒なので、わかりやすい文章でかみ砕いて読ませていただきますと、第5条には、親は、子供の心や体の発達に応じて適切な指導をしなければなりません、国は、親の指導する権利を大切にしなければなりません、こういうふうに、子どもの権利条約第5条、国が親の指導する権利を大切にしなければならないというふうに書かれてあります。これは、先ほど政府参考人が答弁された、家庭が教育の出発点であるということと重なってくると私は思います。
それでは、第2項にあります「家庭教育の自主性を尊重しつつ、」といいますのは、どの範囲まで自主性を尊重しつつというふうな、どの範囲までカバーするんだということになるのでしょうか。
何を問題にするかと申しますと、つまり、家庭というのは教育の出発点である、例えば宗教観あるいは世界観、こういったものの形成にかかわるその価値は、それを子供が形成するときに、やはり家庭というのは深くかかわりを持つことになります。そういった、家庭で形成にかかわってきた宗教観や価値観のほかに、今度は、学校で学習するいわゆる科学的な知識や認識、それと相まって、子供のその人なりの価値観というものができてくるわけであります。
ですから、親の教育する権利、この自由を保障するという意味は、いわゆるその宗教観や世界観について、そのかかわる価値に影響を及ぼすことと同時に、学校教育にも親が、保護者が参加していける、こういうことを含むというふうにならなければならないというふうに考えますが、いかがでしょうか。
■田中参考人
「家庭教育の自主性を尊重しつつ、」ということでございますけれども、国や地方公共団体は、例えば子育てに関する講座を開設する、あるいは家庭教育手帳などを配っておりますけれども、子育ての悩み等を抱える親への情報の提供、相談事業、こういうものを支援事業として国や地方公共団体が行うよう努めなければならないということをこの2項は規定しておるところでございます。
したがいまして、個々の家庭におきます具体的な教育の内容、方法、そういうものは各家庭でお決めになられることでございまして、その内容等について国が何らかの基準を定めたり、そういうことを考えておるところではございません。
■西村(智)委員
いや、だから、自主性はどこまでカバーするんですかと私は伺っているんですけれども、いや、それは国がやるところはここだけで、何ら家庭に強制するものではありません、こういう感じの御答弁なんですけれども、もう1度お願いできないでしょうか。
例えば、家庭教育、家庭のかかわっている宗教観や世界観、あるいは学校とのかかわり、これが施策とぶつかるときは、これはどういうことになるんですか。どちらが優先しますか。
■田中参考人
お答え申し上げます。
国が家庭に対して、いろいろな支援で講習会を開いたり、子育て手帳等を配付したりして、そういう家庭教育の支援をさせていただいておるわけでございますけれども、それのどこを取り入れるか、それは御家庭においてお決めいただく、これが家庭の自主性だと考えております。
■西村(智)委員
どうも答弁いただいていないような気がするんですが、ちょっと時間が迫ってまいりましたので、また先に進ませていただきます。
この第10条の第1項はまた、「生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるもの」と書いてあります。努めるのが親の責務であるというふうに記載をされております。それでは、仮に少年非行やあるいは子供がニートという問題になったときに、これは親の責任、少年非行やニートという問題が発生したときに、それが親の責任に帰するということをこの条文は意味しているのでしょうか。細かい話を言いますと、自立という字は立つという字ですので、経済的な自立も含むと思います。ニートというのはそれと違うものであるということからすると、これは親の責任に帰するということになるのかどうか、その辺を伺います。
■田中参考人
お答え申し上げます。
第10条におきましては、御指摘のように、「生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。」ということで、保護者の責務を書かせていただいておるところでございますけれども、同時に、法案の第5条をごらんいただきたいと思うのでございますけれども、第5条の2項で、「義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。」このように義務教育の目的の中にも入っておるところでございまして、子供たちを育てていく上では、家庭のみならず、学校、地域、それぞれ役割を十分果たしていくことが大切だと考えておるところでございます。
■西村(智)委員
またすりかえられてしまったような気がするんですけれども。完全にすりかえられていますよね、これ。
この10条の第1項が親の責務であるということは、少年非行やニートなどの問題が発生したときには、では、親の責任に帰するということを意味しないということですか。
■田中参考人
子供たちが非行に走らないように、あるいは将来自立していけるように育てることは家庭の責務でもございます。
■西村(智)委員
そうおっしゃるのであれば、重ねて聞かなければいけないのは、親の第一義的責任の履行を規定しているということからであります。親に第一義的な責任があるというふうに規定されているときには、これは恐らく常識的な考えで、納得していただけると思いますけれども、親による第一義的責任の履行を可能にするような経済的及びその他の援助義務が国にあることをはっきりと規定するべきではないか。それはいわば国際的には常識的な考えであると思います。
午前中の古本委員の質問にもありましたが、例えば労働条件の改善、こういったこと、これが、子どもの権利条約の第18条、日本政府は1994年に批准をしております、そこにも書かれていると思いますけれども、この点については改正案に含まれるのでしょうか。
■田中参考人
例えば、今、家庭教育について言えば、家庭教育に必要な支援というものは、国及び地方公共団体が支援しなければならないという書き方で、国及び地方公共団体に、学校教育に関しても家庭教育に関しても社会教育に関してもそのような規定を置いておるところでございまして、そういう、家庭教育の支援あるいは社会教育や学校教育の充実のために、国及び地方公共団体がそれぞれ必要な施策を講じていかなければならないことをこの教育基本法案で規定しておると考えておるところでございます。
■西村(智)委員
いえ、局長、私の質問の意味をわかってお答えになっておられますよね。わかってわざとそういうふうにお答えになっているんですか。
私は、親の第一義的責任の履行を可能にする経済的あるいはその他の援助義務が国にあることを規定すべきだというふうに思います。だって、そうでなければ、家庭に子供の教育のスタートはあるわけですから、そこのところをまずしっかりと確保するということは、これは基本法の中になければいけないと思うんですけれども、どうなんでしょうか。
■田中参考人
例えば学校教育で申し上げますと、義務教育につきましては、どういう御家庭でもきちんと子供たちが義務教育を受けられるように、これは無償にしておるわけでございまして、それに必要な財源措置を国及び地方公共団体で講じておるところでございます。
■西村(智)委員
今、でも、就学援助ですとか教材の補助など、随分と対象家庭はふえておりますよね。生活保護世帯も急増をしています。そういう中で、やはりここは必要なポイントではないか。大臣、いかがでしょうか。(発言する者あり)
■伊吹大臣
いやいや、ちゃんと答弁せないけません、それは。
先生が今御質問になっているのは、伺っていてよくわかります。
それは、家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めねばならない、この範囲がどこまでであるかということは、この基本法に書くのではないんですよ、立法技術上は。これは、立法政策として、あるいは予算措置として、この理念法を参照にして予算でどこまでやるか。あるいは、例えば、この条項があれば、できるだけやはり、私の考えで言えば、両親は早くうちへ帰った方がいい。そうするならば、労働基準法をそれに従ってどういうふうに考えてもらうか、これは労働基準法に落ちてくる問題なんですよ。それをまた厚生労働省にどう働きかけるかというのは、この法律が通った後の文部科学大臣の責任なんですよ。
だから、細かなことまで一々一々この理念法、基本法にどこまでどうだということを書くかどうかというのは、それは先生のようなお考えもあるでしょうが、それはあくまで立法政策上の提出者の判断にゆだねられている問題なんです。
■西村(智)委員
いや、私は、親の第一義的責任の履行が規定されておるので、それを伺っているわけなんです。
その履行が可能になるような状況がどうやってつくられるか、これは基本法といえどもやはり重要なテーマだと思います。子どもの権利条約の中でも、この点については細かく規定をされておりますので、ぜひ再考をお願いしたいと思います。
きょうの質問は、最後にもう一点伺いたいことがございます。
第16条の関係でありますけれども、第16条は教育行政についての規定なわけでありますけれども、この中で、第1項「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、」というふうにあります。「この法律」、これは教育基本法ということですので、これはわかります。「この法律及び他の法律」とありますけれども、まず第1点目は、この「他の法律」というのはどの法律のことを指すのでしょうか。それが第1点。
もう1つ、きょうの最後の質問は、仮に強行採決などによって可決、成立した法律であっても、その定めるところにより教育を行うことになるのでしょうか。
2つ、伺います。
■田中参考人
それでは、お答えを申し上げます。
改正法案第16条の「他の法律」とございますのは、学校教育法や私立学校法など学校教育に関するもの、それから、地方教育行政の組織及び運営に関する法律あるいは文部科学省設置法など教育行政に関するもの、それから、社会教育法、図書館法など社会教育に関するもの、あるいは生涯学習の振興のための推進体制の整備等に関する法律など生涯学習に関するもの等がございます。
■伊吹大臣
強行採決云々のところはちょっと参考人には答えさせられませんので、私からお答えをいたします。
強行採決というのは一体何なんでしょうか。これを定義しなければなりません。そして、各国会法あるいは議事規則、あるいは我々の院は名誉ある先輩の慣例によって動いております、その慣例の中で成立した法律は当然それに従うのが国民の義務だと思っております。
■西村(智)委員
強行採決の定義、それでは、また後ほどきちんと整理をして大臣に質問をさせていただきたいと思います。
時間になりましたので、終わります。ありがとうございました。