■西村智奈美委員
民主党の西村智奈美でございます。
きょうは教育基本法に関する特別委員会での質疑ということで、前通常国会に引き続いて質問をさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
伊吹文科大臣、行革特別委員会の委員長在任当時は大変お世話になりまして、ありがとうございました。簡潔な答弁をせよと大臣に促してくださったのは当時の伊吹委員長でございまして、大変的確な委員長運営に、私は本当に頭の下がる思いがいたしました。きょうもぜひ簡潔な御答弁をいただけますようにお願いいたします。
まず、今回また問題となっておりますいじめ、そして未履修の問題について、冒頭伺いたいと思います。
やはり今回のいじめや未履修の問題は、私は、教育基本法の議論と切っても切り離せないところがあるのではないかというふうに考えております。教育全般を見直し、そして時代の態様に沿ったものにしていくために、理念法である今回の基本法の改正ということになっているわけでございますから、今回のいじめや未履修の問題を見ても、時代は本当に日々刻々と変化している、そういった意味では、この未履修の問題は看過できない。
今まで私たちの同僚委員は、文科委員会で、常任委員会でしっかりとこれは議論すべきではないか、集中審議すべきではないかという御提案も申し上げております。議運でもこちらから提案をさせていただいているというふうに聞いておりますが、なかなか与党の方から、それについては取り合っていただけないというふうに聞いております。
こういった問題をほっておいて基本法の議論を進めるということは、やはり私は問題があるのではないかと思っておりますけれども、まず大臣に御確認をしたいのは、この間、未履修の実態について早急に調査して、そして、きょうじゅうに報告をするということになっていたように思いますが、現状、どういうふうになっているのでしょうか。また、ことしの未履修だけではなくて、さかのぼって、何年前からこの未履修が行われていたのか。そこのところを明らかにしないことには、なぜこういう事態に陥ったかというその原因もまた究明できないと思いますが、今の状況について伺います。
■伊吹文明文部科学大臣
行革特別委員会のことを思い出してまず冒頭お話がございまして、当時のことを私も大変懐かしく思い出しております。
先生の御指摘のとおり簡潔に答弁をいたしますが、答弁漏れがあったり、あるいは答弁が不十分だというおしかりを受けてもいけません。答弁はおのずから質問との関連で長さが決まってまいりますから、できるだけ先生の御趣旨に沿うようにやらせていただきます。
それで、昨日、当委員会でお約束をいたしました調査の件については、既に理事会に提出してございますので、民主党の理事からお手元に回っていると思いますが。
■西村(智)委員
済みません、調査の状況についてと書いてあるんですね。大変失礼いたしました。
いただいておりますのは、ことしの未履修の状況だけだと承知をしておりますけれども、さかのぼっての調査はどういうふうになっておりますか。
■伊吹大臣
まず、過去において、長崎県の平成11年、14年、熊本県で平成11年、広島県、兵庫県で平成13年に今回と同じような事例があったということは把握しております。
そして、今回のことを受けて全体の調査をというのが、昨日、野田先生からお話がございまして、その結果は、できるだけ迅速に調査いたしますが、委員会に、どのような扱いをするかは理事会の御協議にゆだねたいということを申し上げております。
これは率直に言って、今回のことだけを見ても膨大な数になると思います。学校数で約500校ぐらいですかね、それから、人数にして、私立の調査が若干残っておりますが、約8万近くに、8万前後になるんじゃないかと思います。
これを過去にさかのぼって調査し、どうするかということは、昨日、野田先生の御質問にあったように非常に大切なことですが、当面、来年どうするかということをまずしっかりやりませんと、大学入試を控えている高校3年生の115万人の人が不安に駆られたまま時を過ごすことになりますから、まず、当面はこの115万人の人にかかわる問題に調査の全力を注いでいるというのが現状でございます。
■西村(智)委員
学校数にいたしますと、500校規模ではなくて5000校規模ということでございます。
■伊吹大臣
いや、そうじゃないですよ。私は未履修の学校数を申し上げておりますので、簡潔に答弁し過ぎたのかもわかりませんが、どうぞよろしく御了解ください。
■西村(智)委員
それで、当面、ことし未履修の学生、高校生をどうするか。これは確かに受験まで時間がないわけでありますので、ぜひいい結論を出していただきたいというふうに思います。
やはり、私は、これは教育の今抱える問題の構造的なものがどうもこの未履修にかかわっているのではないか、関係しているのではないかという気がしています。なぜそもそも未履修が起きたのか、それは何年ごろから起きたのか、ここのところをしっかりと踏まえて見ませんと、再発をどうしたら防止できるのか、こういう対策も立っていかないというふうに思います。
そこで、大臣は、今回の未履修の問題、原因というのは大体どういうところにあるというふうに認識しておられますか。
■伊吹大臣
まず、未履修の学校は、現在調査をしているところで、5408校の高等学校があるわけですが、うち、既に調査が完了しているのが5170校ございます。このうち、未履修の学校数が461校です。だから、未履修の問題は、いろいろな要因があると思いますが、5170校から461校を引いた残りの約4700余の学校は法律に決められたとおりきちっとやっておられるという事実をまず確認しなければなりません。
その上で申し上げれば、これは御党の野田先生がおっしゃったことですが、そのとおりのことを私から繰り返しますと、やってはいけないことを目的のためにやるという、これは野田先生のを私はそのとおりだと思って聞いておりましたが、規範意識の低下というものが一番やはり私は大きいと思います。
しかし同時に、その誘惑に駆られるゆえんのものは何だったかということを先生はお聞きになっているんだと思いますが、これは、大学の入試の際に、必修科目だけれども、入試のために必ず受けなくてもいい、入試の科目にはなっていないというものを、必修にもかかわらず高校で教えずに、そして大学入試に必要な科目について深堀りをして教えている。だから、結局、あえて言えば、高等学校の教育の成果を大学入試によって評価されるという現実が一番大きな原因だと私は思います。
■西村(智)委員
直接的には恐らくそういうことなんだろう。つまり、規範意識が低下している、しかもそれが、大学入試の科目数から見て集中してやるべき科目に時間を集中的につぎ込むということであった。直接的にはそういうことだったんだろうと思うんですけれども、私はやはりここに、これから本当はもっと深い議論がしたいんですけれども、例えば高等学校の学校同士の競争ですとかあるいは子供たちの競争、こういったものが実は深くかかわっているのではないかというふうに考えています。
最近、高校も校区がどんどん拡大をしてきています。それまで地域の進学校とされていたところも、校区が広がったことによって、今度はほかの地域の進学校と競争しなければいけない。それが、少子高齢化、子供が減少していくと、実際に、その進学率の高さ、あるいは、この学校からはこういった大学への進学がありますよということになると、もうそれだけで学校の優劣がついてしまう。つまり、そういったことの競争の中で何とか勝ち抜いていかなければいけない。そうしなければ学校が統廃合の対象になるなどという時代でありますから、そういったことが恐らく構造的には問題になっているんだろうと私は思うんですね。
それはまた後でぜひ議論をさせていただきたいと思っておりますけれども、大臣、この未履修の解決の方法について、現状ではどんなふうにお考えになっておられるでしょうか。
この特別委員会の議論を聞いておりますと、教育委員会をもっと見直していかなければいけない、それも、再生会議でメーンでは議論していくんだ、こういうような御発言だったかと思います。
これはどうなのか。やはり、この基本法の委員会の中で、あるいは常任委員会の中でしっかり議論していく課題だというふうに考えておりますけれども、この未履修の問題の解決方法といいますか防止策について、大臣はどんなふうにお考えになっておられるでしょうか。
■伊吹大臣
御質問の趣旨は、未履修の高等学校の高校生の方々をどう救っていくかということじゃなくて、構造的にという意味ですね。
これは、もう先ほどのお答えですべてが尽きていると思いますが、基本的に、競争の結果こういうことが生ずるから、競争をやめ、競争原理というものを否定するというのは、私は本末転倒だと思います。競争には競争の欠陥がいろいろあることは、アダム・スミス以来、すべての経済学者、哲学者はよく理解しておるんです。
これをどう是正していくかというのは、2つのやり方があります。1つは、間違えるものだから政府が積極的に介入してこれを直す、これはいわゆるリベラルという政治思想だと思いますが、もう1つの政治思想は、やはり人間の力に期待して、先ほど申し上げたように、規範意識をしっかり持った方々によって教育委員会が運営されていく、そしてまた学校が運営されていく。それがどうしてもうまくいかない場合には制度に手をつける、これが物の順序だと思います。
制度を変えるということは、なるほど、当面問題になっていることに対して一応の解決方法に見えますけれども、その制度改正に伴う新たな欠陥というものは必ず出てくるものでございますから、私は、教育に携わり、そして、天職とは言いませんけれども、もう少しやはり自覚と自分の責任感を持ってやっていただくようにまず持っていくのが先決問題だと思います。
■西村(智)委員
そういう今大臣のおっしゃった解決方法といいますか防止策が、では、今回の教育基本法の中には、どこにどういうふうに反映されているのでしょうか。
■伊吹大臣
今回の教育基本法を通していただくことによって、今回の、と私が申し上げているのは政府提案のという意味ですが、それを通していただくことによって、国、地方が分担して教育の責任を負う中で、この教育基本法に基づく各法律というものがございますから、学校教育法あるいは教育委員会に関する法律、その他の法改正を行い、それを受けて、政令、あるいは大臣告示である指導要領、これを変えて現実にやっていくのが行政の執行の実態でございます。
■西村(智)委員
行政の執行の実態ということで今御答弁はいただきました。
しかし、どうなんでしょうか。これでは非常に時間がかかる。ことし未履修だった学生さんに対しては何らかの手だてを考えていく、そしてまた、未履修でなかった、ちゃんと学習指導要領に沿って指導を受けていた学生さんに対しても、平等なといいますか公平な手だてをとっていくということは、これは私も必要なことだと思いますが、ここのところ、多くの教育についての国民の皆さんの御意見は、やはり早急に教育のあり方を何とかしてほしい、こういうことだったんだろうと思います。基本法を変えて、それを受けて法改正して現実の施策に落とし込んでいく、これは、私たちの提案している民主党案でもそういう必要性は出てくるわけでございますけれども、いささか迂遠な感じを今大臣の御答弁を聞いていて受けました。
民主党案の提出者にお伺いいたしたいんですけれども、今回の未履修の問題です。
昨日、同僚議員の質問の中で、教育行政の責任と権限が不明確であることが今回の未履修の原因である、こういうような御指摘があったわけなんですけれども、今回の問題の原因、どういうところにあると提出者は分析をしておられますか。また、民主党案ではどういう改善策がとられることになるのでしょうか。
■藤村修議員
お答えいたします。
現在調査中ということで、私学についてまだよくわかりませんし、原因がどこにあるかということについては、現時点で断定的に言うわけにはいかないとは思いますが、考えるところの1つ2つを申し上げますと、数年前から完全週5日制ということで、高校の授業の全体の枠は1つ減ったということであります。しかし、にもかかわらず幾つかの新しい項目も教科に加わっているということで、非常にたくさんやらないといけない。このことが1つの理由になるのかなとは思います。
それから、適度な競争は必要とするも、しかし、大学に進学できるいい高校のような、これは私学とも競うという部分では、やや市場原理化しているんじゃないか。私は、教育の分野では、適度な競争は必要とするも市場原理化はいけないということは、鈴木委員もこの前、文科委員会で主張されましたが、やはりその部分が市場原理化しているんじゃないかな。これも憶測ではあります。
それからもう1点、教育行政の問題として、昨日、野田委員も指摘されたように、教育の責任がどこにあるのかよくわからないという多重構造の部分にあるのではないかということで、まださらに分析を続けなければならないと思います。簡単に断定はできないと思っております。
加えて、今もう1つの御質問が、民主党の基本法で、ではどうなんですかということでありますが、今、推測の中で申しました教育行政上の問題というのは、やはり基本法に大きくゆだねられていると思います。ずっとかつてから言われているように、学校の現場で本来大抵のことができるということが理想ではあるけれども、しかし、学校は市の教育委員会、市の教育委員会は県の教育委員会、県の教育委員会は文科省というふうに、それぞれお伺いを立てたり指導助言を受けたりという関係で、ややたらい回しになる部分も多い。実は、このことの指摘は大分前からあったと思います。
かつ、加えて、教育委員会が本当にきちんと働いていただいているかどうかという点についても、それぞれの皆さんにそれぞれの御意見があると思うんですが、例えば、これは昭和52年、今から29年前でございますが、当時の福田赳夫総理大臣が当時新自由クラブの西岡武夫議員の質問に答えて、「教育委員会が形骸化している、こういう面を指摘しておりますが、そんな感じがしないわけでもありません」と、総理大臣答弁も29年前にあったんです。そのころから、教育委員会がちゃんと働いていないのではないかという思いはずっとあったわけでございます。
ですから、我々は、この際、教育の行政という部分で基本法が果たせる役割というのは、何度も申しますが、最終責任は国にというところで、財政とか標準あるいは教育行政の体制とか、それから、できるだけ学校の現場に大抵のことは決めていただくということであろうと思います。
今回、世界史未履修について、どこにどう責任があるのかと考えますと、今の法制上ではやはり校長の一義的責任が大きいと言えますが、ただ、実は、今の校長も都道府県の教育委員会のもとで指導監督がありまして、やはり都道府県教育委員会もその指導監督を怠っていたのではないかという責任も大きいし、どちらが重いとも言えないということでございます。
そういうことから、責任体制をはっきりさせるというのが我々の基本法の考え方でございます。
■伊吹大臣
先生、先ほど、教育基本法を直していろいろやっているのじゃ迂遠じゃないかという御指摘がありましたが、今、民主党の提案者も同じことを言っておられるんですよ。
それは、民主党の、教育基本法を直さなかったら、今の基本である教育委員会を廃止して教育権を都道府県知事にゆだねて、教育の責任を地方自治体の長にやらせるという法律が通らなかったら何もできない。同じことなんですよ。今、藤村先生が言っておられるのは、やはり規範意識を持ってしっかりとやって、教育委員会に責任があってと、私の答弁と同じことを言っておられるわけです。
だから、教育基本法を通さなければ現実に何もできないなんということはないわけですから、今の教育基本法、これからの教育基本法の理念の中で、先ほど申し上げたように、各法律、予算等を直しながら現実の困ったことの穴を埋めていくというのは、民主党の答弁者も同じことを言っておられるということを御理解ください。
■西村(智)委員
いえ、教育委員会の形骸化ということを藤村委員は指摘されているんだと思います。民主党案の中では、教育委員会のあり方を含めて、教育行政、国と地方の責任分担のあり方、これを明確にしておりますので、私は、政府案の中でこういったことに実際のところ対応できるのかどうかということ、ここを問題にしたいわけなんでございます。
私は、今回の未履修の問題1つとってみても、やはり時代というのは本当に何が出てくるかわからない。未履修などというのは、私が学生のときには想像もしなかった事態でありますが、こうやって、時代に沿って、時代の変遷に伴って新しい教育上の課題というのはたくさん出てまいります。これは未履修が時代の変化の1つであるとすれば、やはり未履修の問題はこの基本法の議論の中でしっかりと含めて考えるべきだ、こういうふうに考えておりますけれども、大臣、ここのところ、未履修の課題を克服する、まずそれが先だというふうにお考えにはなりませんか。
■伊吹大臣
ですから、先ほどから何度も申し上げておりますが、現実に事は起こっているわけです。そして、今、不安に駆られている高校3年生が115万人いるわけです。この人たちの対応はまずやらねばならないんです。
失礼ですが、民主党案の、教育委員会を廃止し地方の首長に教育権を渡すという、それを待っていたらどうなるんですか。教育基本法が通らなければ何もできないのは迂遠じゃないかとおっしゃったのは先生じゃないんですか。先生の言葉をなぞれば、それを待っていたら、現実の対応ができないといって、さっき私に御質問になった。ところが、今は、民主党の対案を通して教育委員会の改組をしなければ問題の解決にならないとおっしゃっている。
私は、今の自民党案であれ、民主党案であれ、あるいは現行の教育基本法であれ、ともかく、今起こっていることに対する対応は、これは法律改正をしなくてもできますから、それで私はまず115万人の高校生を救いたいと思う。そして、その後、必要があれば、教育委員会に関する法律その他を国会の御同意を得て直せば、教育委員会の強化ということはそれでできます。それは別に、現在の教育基本法、あるいは政府が提出している法律とはそんなに、私は、その範囲内でできないことだとは思いません。
■西村(智)委員
基本法の議論でないというふうにすれば、これはやはり常任委員会でやらないとならないんじゃないでしょうか、大臣。そこは重ねて指摘をしまして、これ以上やっていても水かけ論になってなかなか先に進みませんので、先にしたいというふうに思います。
それでは、次に格差の問題について伺っていきたいと思っております。
今回の基本法の問題、私は、この時代の教育のありようを考えると、格差というのは、教育格差、学力の格差、いろいろありますけれども、大変大きな論点なんだろうというふうに思います。
さきの通常国会でも、私は、安倍総理が官房長官だった当時に、格差についての認識を伺いました。そのときに、格差というのは常に存在する、頑張った人とそうでない人に差ができるのは、これは当然のことだと思っている。しかし、その格差が許容できる範囲かどうか、また、その格差がフェアな競争の結果かどうか、ここを見なくちゃいけない。フェアでない競争、公正でない結果であるとすれば、それは当然問題であるというふうにおっしゃいました。
ここは塩崎官房長官にお伺いしたいんですけれども、フェアな競争、安倍総理、当時官房長官のお言葉でありますけれども、このフェアな競争というのはどういうものであると理解したらよろしいんでしょうか。
■塩崎恭久内閣官房長
これは言った御本人から聞かなければいけないことだろうと思いますが、推測であえて答えろというならば、当然のことながら、競争にはルールというのが必要だと思います。安倍総理は自由と規律と言っていますが、自由だけではだめで、規律がなければいけないわけで、ルールに基づいて、なおかつ倫理観に裏打ちされた競争のことを指しているのではないかなというふうに思います。
■西村(智)委員
ルールにのっとって倫理観のあるということなんですけれども、私は、実は、ちょっとここ2、3日で感銘を受けている言葉があります。それは、ノーベル平和賞を受賞したユヌス氏の言葉なんでありますけれども、貧困を背負って生まれてくる人はいない、生まれた後に社会から貧困を押しつけられる、こういう言葉であります。
アメリカの話で大変恐縮なんですけれども、ジョンソン大統領が、かつて、黒人の公民権取得の後に、ハワード大学で、機会の平等と結果の平等ということについて演説をされました。つまり、それは何かというと、機会の平等というのは、みんなが一斉に1つのルール、画一的なルールの上にのっとって競争のスタートラインに立つことができる。しかし、実際には、黒人には長い差別の歴史があったわけです。では、みんな同じスタートラインに立ちましたよといっても、それはおのずとスタートラインに立つところから差が出てきているわけですね。こういうことが歴史的にあった。恐らく今の日本でもあるのではないかというふうに私は思っております。
そういった格差ということを考えたときに、では、本当に、機会の平等というのは、フェアな競争をもってしてだけでそれは機会の平等だと言っていいのかどうか。これは言葉の使い方ではありますけれども、結果の平等も含めて、私たちは、公正な競争、機会の平等と結果の平等、これを考えていく必要があるのではないかというふうに考えているんですけれども、大臣の御所見を伺いたいと思います。
■伊吹大臣
これは先生、政治哲学、政治理念の中で永遠に語られてきた大変難しい問題ですが、やはりフェアな競争という限りは競争条件が一定でなければならないということは、私、そのとおりだと思います。
結果の平等というのは、自由競争原理をとっている限りは、これはないわけですね。結果の平等というものをすべての人に保障すれば、人間の本性からしてだれも努力しなくなる。だから、結果の平等を追求してきた政治理念による国はすべて崩壊を始めてしまって、東西の対立は今なくなってきている。
ですから、結果の不平等に対してどの程度手を差し伸べるのか、そして競争機会の平等ということに対してどの程度手を差し伸べるのか、これが重要な課題であるということは、私は決して否定はいたしません。
■西村(智)委員
日本で結果の平等を語るときに、ややもすると、同じスタートラインに立っているかどうか、そこを検討もせずに結果の平等ということだけを言われていた嫌いがあるのではないか、私は実はこういうふうに考えております。
ずっとこの委員会の中でも指摘がありますけれども、日本はとにかく、先進国の中でも、教育、公教育にかける財政の占める比率というのは非常に低い。各都道府県においても、教員の給与あるいはそれにかける財政、これも大変大きなばらつきがあるというふうに私は見ております。また、そういった地域間の格差の問題だけでなくて、どうも、例えば経済力の高い家庭の子供は長く勉強する傾向にあるとか、あるいは経済力の高い家庭が財政力の高い地域と重なっている傾向がある。こういったことから、やはりこの格差の問題というのは大変大きな問題であるというふうに思っております。
結果の平等を語るときには、同じスタートラインに立っているかどうか、そこをまず第一に検討しなければいけない、そこをまずチェックしなければいけないというふうに思いますけれども、さて、文部科学省としては、これをどういうふうに担保していくのでしょうか。この基本法の改正によって、それがどこまで到達できるのでしょうか。
■伊吹大臣
これは、まず、憲法を受けて内閣が提出した教育基本法というのがあるわけで、教育機会の平等ということを基本にして方向性は行われているわけですから、先ほどの議論に戻れば、それを受けて、例えば奨学金制度だとかあるいは義務教育の国庫負担金制度だとか、いろいろな予算上の措置を行い、また、すべての保護者は子供を教育する義務があるとか、あるいは、先ほど来、午前中に御党から御質問があったように、高等教育の人にはどれだけの財政的支えをしていくのか、これは、いろいろな、基本法を受けた各法律及び予算においてできる限りの担保がなされるということだと思います。
■西村(智)委員
できる限りの担保がなされるということなんですけれども、本当になされるんでしょうか。これは、先ほど、午前中の北神委員の質問にもあったんですけれども、骨太の方針2006、ここでもう既に文科省はマイナスの方針である、マイナスになる、そういう方針が示されておりますけれども、これで本当に担保されるのでしょうか。
■伊吹大臣
今先生の御質問は、最初は個々人のお話になっておりましたが、今はマクロの文教予算のお話になっておりますね。
個々人に対してどういう施策がどの程度行われているかという、もう一度最初のお話に戻りますと、真空状態で行政というのは行われているわけじゃありませんから、その法律の精神にのっとって、最大限の制約の中で、予算を組み、税制の優遇措置を講じ、法律的な措置を講じているわけです。これが法律、憲法に違反するかどうかというのは、最後は、どこまでが許容されるかということで、司法の場でいろいろ争われているかつての例があるわけです。
だから、行政の裁量権の範囲はどこまでかというので、100%先生のお考えのようにこうしろということが正しいのか。現状で努力をしているけれども、いろいろな制約の中でここまでしか現状は残念だけれどもできていないが、それが国家の努力義務に反するかどうかというのは、最後はこれは司法の判断にまたねばならないことです。
■西村(智)委員
今回の基本法、私は、財政の保障というのが、実は言ってみれば隠れた目的なのではないかというふうに思っております。それはすなわち、第17条の教育振興基本計画、これを策定するということになっておりますけれども、この振興計画の中身、つくり方、性格は今全く白紙だという、きのうのレクのときの御答弁をいただきました。全くわからないんですね。
大臣は先ほど、最後は司法の判断にまつんだというふうにおっしゃいましたけれども、しかし、法律を制定する立法府としては、やはり立法府としての意思はきちんと示していかなければいけないだろうと思います。そうなったときに、これで財政保障がきちんとなされるのかどうか、また、この教育振興基本計画ですか、これで本当に財政保障がなされるのかどうか全くわからないということでは、これは立法府の意思を示すことができない、私はそう思っております。
大臣、そこで伺いたいんですけれども、どういった内容の振興計画をお考えなのでしょうか。
■伊吹大臣
まず、立法府の意思を示しておくべきだということなんですが、民主党案にもGNPその他の意思を表示されていると言ってもいいと思いますが、それが現実に各法と予算を通じて実現できなければ、これは全く意味のない規定になるわけですね。それと同じなんですよ。
ですから、振興計画というのは、この法律に示されている理念を実行するために具体的にどうするのか。これは中教審に、どんなことを書けばいいでしょうかということは既にお尋ねしてあります。その内容について言えば、自己実現を目指す独立した人間の形成とか、豊かな心と健やかな体を鍛える人間の形成、知の世紀をリードする創造性に富んだ人間の育成とか、基本法、理念法であるだけに、極めて抽象的なことなんですよ。
そして、それを書いて、先ほど来言っておりますように、予算その他の法律、法律も改正しなければならないところも出てくるし、そして、政令、通達でもってこの振興計画を肉づけしていく。しかし、大きな基本については、これは立法府として御不満があってはいけないから、振興計画をつくったときは必ず国会にそれを提示しなければならないという規定が入っているんですよ。ですから、立法府としてそのときに御意見があれば、当然、立法府の御意思をおっしゃっていただく機会はあると思います。
■西村(智)委員
確かに振興基本計画の中には、「国会に報告するとともに、公表しなければならない。」これは報告なわけですね。基本計画の策定について報告をしますと。そこで、一般質疑などで議論する場というのは恐らくあるでしょう。しかし、その意見がしっかりと反映されるかどうかというのはわからない。
また、先ほど大臣は、民主党案のGNP比の法条文への盛り込みについて、実現できなければ意味がないというふうにおっしゃいましたけれども、果たしてそうでしょうか。目標は目標で、私は必要なものだと思います。子供たちが勉強するとき、学習するときも目標というのは持つわけでありますし、これは私は意味のないことではないというふうに思います。
また別のところに進んでいきたいので話は先に行きますけれども、この教育基本法の第十七条、振興基本計画というところまでは規定されていますが、財源保障については規定されていないわけであります。では、これは振興基本計画の策定の場で改めて議論する、こういうことになるのでしょうか。
■伊吹大臣
今の御質問の趣旨は、振興計画を受けて毎年毎年の教育関係の予算的裏づけをどうするかという意味ですか。もしそれであれば、当然振興計画というものも国会にお示しし、もちろん、どういう議論をしていただくかは国会で決めていただくことですが、公表をする。そして、各法律がすべてあります、義務教育国庫負担金の法律その他の法律が、すべて国会の議決を経てあるんです。それを受けて、財政法の規定により、毎年毎年内閣が予算案を国会に御提出して国会の御審議を受けるわけですから、その際に国会としての御意見をおっしゃる場は、当然予算委員会だと思います。
■西村(智)委員
私が承知しております限り、基本計画あるいは基本法を根拠にして予算、財政保障などがあるというのは科学技術基本法。科学技術基本法には、基本法そのものの中に財源保障という項目がありまして、それに沿って基本計画がつくられる、こういうことになっているわけです。
そういうものから比較いたしますと、文部科学省がつくった科学技術基本法とこの教育基本法ではやはり余りに差があって、毎年毎年きちんと担保すると大臣は今おっしゃいましたけれども、私は、そこは多少不安があるというふうに思っております。議論するということですね。
時間が迫ってまいりました。もう本当にたくさん質問を用意してきましたら、とても終わりません。ぜひ時間をまたとっていただきたい。お願いをいたします。
昨日の伊吹大臣の発言でちょっとお伺いしたいことがございますので、1点お聞かせいただきたいと思います。
昨日、これは笠委員への答弁だったかと思うんですけれども、抜粋で済みません、ちょっと読ませていただきますと、地方の首長といっても、私は先ほど御党の鳩山幹事長の答弁に一度たりとも民主党の議員がというようなことを申し上げなかったんだけれども、民主党が首長になったらそんなことはしません、こうおっしゃっているわけだけれども、特定のイズム、例えばジェンダーだとか何かを持っている首長がいるとか、あるいは大阪、私の地元にも、そういう特定の政党のイズムを持って云々というふうにおっしゃっておられました。
もしかしたら、大臣はジェンダーという言葉を多少誤解されているのではないかなと思いまして、そこで高市男女共同参画担当大臣にお出ましをいただいたわけでございます。
ジェンダーとは何を意味するのでしょうか。政府の公式見解を述べていただきたいと思います。
■高市早苗少子化・男女共同参画担当大臣
ジェンダーという言葉につきましては、第2次男女共同参画基本計画におきまして明確な定義をしております。「社会的性別」(ジェンダー)という表現なんですけれども、読み上げますと、「人間には生まれついての生物学的性別がある。一方、社会通念や慣習の中には、社会によって作り上げられた「男性像」、「女性像」があり、このような男性、女性の別を「社会的性別」(ジェンダー)という。」となっております。
■西村(智)委員
基本計画にもそのように記載をされているようでございます。これは国際的にも幅広く使われている用語であるというふうに承知をいたしております。
高市大臣に重ねてお伺いいたしますけれども、ジェンダーというのは、偏った思想といいますか、特定のイズムなのでしょうか。
■高市大臣
基本計画に書いております「社会的性別」(ジェンダー)というのは、それ自体によいとか悪いとかいう価値を含むものではなくて、特定の思想を帯びた用語じゃありません。
ただ、よく使い間違えられるのは、ジェンダー・フリーという用語をジェンダーと表現してしまったケースなのかなと、きのうの大臣の御発言を私はそう思って聞いていたんですがね。
ジェンダー・フリーという用語に関しましては、男女共同参画基本計画の中にもこう書いております。「「ジェンダー・フリー」という用語を使用して、性差を否定したり、男らしさ、女らしさや男女の区別をなくして人間の中性化を目指すこと、また、家族やひな祭り等の伝統文化を否定することは、国民が求める男女共同参画社会とは異なる。」ということで、「例えば、」の例示で、「児童生徒の発達段階を踏まえない行き過ぎた性教育」ですとか「男女同室着替え」ですとか「男女同室宿泊」ですとか「男女混合騎馬戦等の事例は極めて非常識である。」と、ここまで書いておりますので、そういった意味では、このジェンダー・フリーという言葉を使用して行き過ぎがあったような場合というのは、偏った対応になるととられるんじゃないでしょうか。
■西村(智)委員
ジェンダー・フリーというのも、私が記憶しておりますけれども、2年くらい前の細田官房長官時代に、正しい理解、正しい用語の理解があればそれは使ってもよろしい、こういう御答弁があったと思います。
私は、本当はジェンダー・バイアス・フリーというふうに言いたいわけなんですけれども、短くジェンダー・フリーと言う人もいる。今、ジェンダー・フリーという用語を使用して、性教育ですとか男女同室着がえですとか、いろいろな事例を挙げられましたけれども、やっているかどうか、これは、私も実例には実は当たったことはありません。出会ったことというのはありませんけれども、ほんの一部だろうと思うんですね。
今、例えば、性行為などの低年齢化、感染症などの若年層への爆発的な拡大、こういったものを考えますと、むしろ、正しい理解、年齢に応じた性教育などをやっていくということは必要なことだろうと思いますので、ぜひその点についても御配慮をいただきたいと思っております。
■高市大臣
ジェンダー・フリーという用語につきましては前にそういった答弁があったのかもしれませんが、その後、余りにもジェンダー・フリーという用語の解釈によって極端な事例がふえましたことから、内閣府の方から各地方公共団体に、ジェンダー・フリーという用語について使用は控えられたいということで、文書で通達を出しております。
■西村(智)委員
ふえたんですね、そういう事例が。そういう確認でよろしいですね。重要な発言だと思います。
伊吹大臣、それでは、昨日の答弁の御趣旨、伺います。(発言する者あり)
■伊吹大臣
民主党の中井筆頭理事から御答弁をいただいておりますが、私が申し上げたのは、フリーという言葉を確かにつけたらよかったと思います。それはまことに申しわけなかったと思いますが、今、高市大臣が申しましたように、政府としては、既に男女共同参画基本計画において、ジェンダー・フリーという用語を使用して男女の別を否定したり、男らしさ、女らしさや男女の区別をなくして人間の中性化を目指すことなどは、国民の求めている男女共同参画社会とは異なるものであるということを明確にしておりますので、そういうことを前提に教育を進めておられる地方自治体等があるとすれば、地方自治体に教育権を渡すのは非常に危険なことだということを申し上げたわけです。
■西村(智)委員
ジェンダー・フリーという言葉は、私は、この言葉にすべての原因を押しつける、言葉が悪いんだというふうに聞こえるような説明の仕方、ぜひやめていただきたいなと思います。
それを使って本当に極端な、おひな様はだめよと言っている人はもしかしたらいるかもしれませんけれども、それはその言葉の責任ではなくて、使う方の責任だということをぜひ分類していただきたいというふうに思っております。(発言する者あり)私は、ジェンダーという言葉には概念は問題はないというふうに思っておりますので、ぜひよろしくお願いをいたします。
さて、ちょっと時間もなくなってまいりましたが、話が男女共同参画基本計画にのってまいりましたので、高市大臣に引き続きお伺いをいたしたいと思います。
大変プライバシーに立ち入ったことをお伺いするようで恐縮ですが、大臣は結婚しておられますね。高市という姓は、夫様の姓でしょうか、それとも御自分の姓でしょうか。
■高市大臣
私は、法律上、夫婦同姓であります。夫の山本拓と同じ山本が私の法律上の姓でございます。
■西村(智)委員
この委員会の森山眞弓委員長も、法務大臣だった当時、民法の改正議論には大変大きな力で取り組んでこられたわけであります。
民主党が選択的夫婦別姓の民法改正案を提出しておりますが、なかなかこれは与党の皆さんからは賛成していただいておりません。大臣は今も高市という旧姓を通称でお使いになっていらっしゃる。そうしますと、この民主党の選択的夫婦別姓法案に賛成してくださいますかね。どうでしょうか。
■高市大臣
選択的夫婦別氏の問題については、別姓の問題でもさまざまな議論があると思います。自民党の中でも3つほど選択肢が出てまいりました。
1つは、現在の法律のままでいい。つまり、私のように、法律上は夫婦同姓であります。今の法律でも通称、旧姓は使えますから、それを使い続けるというのでいいじゃないかという方法が1つ。
それから2つ目は、私自身が自民党の政調に提出をいたしました法律案なんですけれども、それは、やはりファミリーネームは守る、法律上、戸籍上は、親子、夫婦同じ姓である。ただし、外で旧姓を使う場合にいろいろ不便も出てきております。例えば、私の同一姓を証明するときに、免許証を出しましても山本早苗としか書いていない。でも、きちっと戸籍に通称として旧姓を使用すると書き込んでおけば、免許証にも、例えば山本早苗(旧姓高市)、このような表記があってもいいんじゃないか。そういう通称使用をもっと便利に使えるようにしようというのが2つ目の案。
3つ目の案は、民主党でも御検討いただいている選択的夫婦別姓、これに大変近い案だと承知をいたしております。この場合は、戸籍上も、夫婦、親子、同じ姓は残りません。ファミリーネームというのは人によってはなくなってしまいます。夫婦の姓は別々、子供の場合はどちらかの姓に合わせるというような形になるんだろうと思います。
このほかにも、恐らく議論を深めていくともっとほかのアイデアというのも出てくるんじゃないかなと思いますので、ここで、私は男女共同参画を担当する大臣でございますので、あくまでも第2次男女共同参画基本計画において、この問題については国民の議論が深まるように引き続き努める、こういう記述がございます。直接の担当は法務省でございますけれども、国民がいろいろな案を自由に言って議論を深めていく、こういった形は応援していきたいと思いますので、民主党さんの案そのものを私が応援するしないというよりは、議論をしていただくことにエールを送りたいと思っております。
■西村(智)委員
今も大臣の答弁にありましたとおり、姓を変えると例えば仕事上不便が生じるとか、そういうことが起こり得るということは、これは大臣も御理解くださっているわけですね。やはり、多くの女性だけではなくて、結婚して姓を変えた男性も同じように多くの方が不便を感じておられます。
最近は大変に子供の数が少なくなってきている。一人っ子同士の結婚というようなものも出てきています。ここで、大変にレアなケースですけれども、姓を変えなければならない、結局、一人っ子同士なので、どちらかの姓に合わせなければならない。だけれども、それぞれの姓を変えることはできないので結婚をちゅうちょしている、こういうようなケースもあるわけでございます。(発言する者あり)
愛があれば乗り越えられるわけでありますけれども、そういった多様な家族のあり方を保障する、政府としても、多様な選択が可能にできる、そういうことを示すためにも、私は選択的夫婦別姓の導入、これは家族を大切にすればこそ導入していきたい、こういうふうに強く考えております。ぜひ与党の皆さんからも御賛同いただきたい、このことを強く申し上げて、そろそろ時間になりますので、これで私の質問を終わらせていただきます。
ありがとうございました。