猛暑です。皆様お気をつけください。
このところ私は雨の中も炎天下も、街頭演説を行っています。手を降ってくださる方々がいらっしゃると元気が出ます。合間に新保まり子さんの新しいドリームハウスHOPE「つむぐ」も訪問しました。生きづらさを抱える方々のための居心地のよい場所とのお話で、数年前から進んできた福祉の相談窓口の一本化を先取りされています。そして今月は75年目の8月。新型コロナウイルス感染拡大がなければ、今ころは東京オリンピック・パラリンピックで盛り上がっていたことでしょう。静かな祈りの75年目を迎えました。
先週から今週にかけて、新潟市で広島、長崎の原爆犠牲者追悼式と、水戸教公園での平和記念碑献花式に参加しました。「俘虜収容所」、特攻隊の飛行訓練のため造られた山田飛行場、米軍艦載機の銃爆撃。新潟市は原子爆弾の標的となった都市の一つだったため、8月10日に新潟県知事は国の意向に反して新潟市民に疎開を指示しています。まさに『戦場としての新潟』(新潟市編集発行、1998年、新潟歴史双書2)だったのです。
75年という年数は、2~3世代が入れ替わるのに十分です。大きな戦争はおおむね3世代が入れ替わる約100年周期で発生する、という研究があります。100年に向けた残り4分の1世紀を、私たちはこれから迎えます。新潟市平和記念碑献花式では、第22代高校生平和大使としてジュネーブに行かれた石橋美羽さんが、戦争を体験した人から直接話を聞ける最後の世代、戦争の記憶をこれからは自分たちの世代が語り継いでいく責任があり、証言や記録を集めて責任を果たしていきたい、とのスピーチをされました。記憶の継承は困難だけれども不可能ではない、と思います。私は政治の役割を果たす努力を続けます。